アフリカ大陸リアルタイム旅日記 -2ページ目

アフリカ大陸リアルタイム旅日記

アフリカ大陸を彷徨うバックパッカーが、旅の様子をリアルタイムに報告します。


現在、スワジランドのマンジニというところに滞在中。



・・・・・スワジランド


・・・・・どこ?それ?



読者の皆さん、スワジランドなんて国を知ってますか? マイケル・ジャクソンが作ったやつだっけ? ああ、あれはネヴァーランドか・・・。


とにかく情報が完全に不足している。聞くところによると、この国家は



「南半球でもっとも小さな国」



ということなので、一応独立国家のようだけど、でもスーパーで買物したりすると何故かお釣が南アフリカ共和国の「ランド」という通貨でかえってきたりして、なんだか既に南アっぽい幹事がする。(まだ南アには行ったことないけど、そんな感じがする。)



ちなみにスワジランドの通貨は



「リランジェニ」



長くて呼びにくい名前だ。しかしアフリカ諸国の通貨単位はどれも呼びづらい名前ばかりなので、もうそういうのにも慣れた。唯一うまく慣れることができなかったのはモザンビークの



「メティカル」



という通貨ぐらいだった。このメティカルは複数形になると語尾が不規則変化して



「メティカシュ」



と呼ばれるようになる。なぜ不規則変化しなければならないのか、その理由までは知らないけれど、とにかくそういうことになっっている。でもモザンビークの経済はかなり弱くて、たった1ドル両替しただけで25000メティカシュなんていうすごい金額になってしまうので、ハッキリ言って「1メティカル」という言葉を使う機会はほとんどない。


それに通貨単位の語尾が不規則変化するのはなにもモザンビークの専売特許というわけでもないのだ。そういう国は世界にけっこうあって、僕が行ったことがある国では、ブルガリアがそうだった。だから僕にとって呼びにくい通貨の名前とか、通貨単位の不規則変化なんていうのはもう何度も経験済みで、そんなことでいちいち戸惑ったりしないし、「リランジェニ」くらいの名前だったら2秒もあれば覚えられるし、たとえこれが複数形になると不規則変化するんだと言われても、それくらい朝メシ前に・・・・・



スワジランドの通貨



「リランジェニ」



これが複数形になると



「エマランジェニ」



リランジェニが複数形になるとエマランジェニ・・・。いや別に今更構わないよ。通貨単位の不規則変化くらい。うん、世界にはいろんな通貨があるからね。でもひとつだけ言わせてほしい。




「語頭を不規則変化させるな!!(せめて語尾にしろ)」




1リランジェニも2エマランジェニも、使用頻度高いんだよな・・・。





P.S スワジランドでの努力目標


「ボツワナよりも長く滞在(4日以上)すること・・・」



現在はモザンビークのベイラという街に滞在中。ちなみにその前はジンバブエの首都ハラレという所にいたのだが、ここには約3週間滞在した。かなり長い滞在だったが、これは別にただダラダラしていたというわけではなく、同じ宿(日本人が多く泊まる宿)に滞在していた日本人旅行者達と


「年越しにスーパーで買った小麦粉でウドンを打ち、醤油でツユを作り、それを短波ラジオで紅白歌合戦を聞きながら食べた。」


 とか、


「他の旅行者宛てに日本から送られてきた『ハウス・バーモンドカレー(甘口)』のルーで作ったカレーライスをご馳走になった。」


 とか、ジンバブエでしか体験できない事が盛り沢山で、あまりにも有意義だったために滞在が長期化しただけのことである。決して「沈没」していたわけではないので、そのあたりは誤解の無い様にお願いしたい。

それにしてもここ(ハラレ)の宿で出会った日本人旅行者は皆アクの強い人達ばかりだった。とにかく凄い人達ばかりだったけれど、その一部を紹介すると


「既に大学に7年も在籍していて(現在休学中)、髪型はスキンヘッドだけど、趣味は『部屋の模様替え』という男性。」


 とか、


「彼女を日本に残してアフリカ(アンゴラとかコンゴとか)を旅しているのだが、何故か『早苗』という、日本にいる彼女とは全く別の女性の名前のついたバイクで旅している男性。」


 とか、


「ナミビアでレンタカーを使って砂漠に入ったが、近道しようとして遭難してしまい、おまけに事故って死にかけたけれど、運良くレンジャー部隊に救出されたという夫婦。」


 とか、本当に凄い人達ばかりだった。よく言えば『個性的』、悪く言えば『イカレてる』。ユーラシア大陸を旅しているときに知り合った日本人旅行者と比較すると、少なくともアフリカを半年以上旅している旅行者というのはどうもみんな変な人達ばかりだ。実際、その宿に滞在していて常々感じたことは


「普通のマトモな旅行者は僕だけだ。」


ということである。それを端的に示す事柄として、とにかくその宿に滞在していた間、他の日本人旅行者達から


「KOGは本当に純情で、しかも爽やかな旅行者だよね。」


 とか


「KOGは大人になっても『少年の心』を忘れていないんだね。」


 とか言われてばかりだった。僕はそんなふうに言われて少し照れくさかったけれど、これは事実なので否定しなかった。またそれとは別に、これはとても残念なことだが、彼等には僕の全てが見えていたわけではなかった。確かに『純情』『爽やか』『少年の心』という言葉は僕のイメージを的確に表していると思うけれど、それで全てというわけではない。確かに彼等から見れば僕は「すれてない」旅行者かもしれないけれど、それでももう陸路でアフリカを10カ国以上旅している。ここまでなかなかハードな旅だった。でもハードだった分だけ、いろいろな経験をすることもできた。おかげで有益な旅のテクニックも身に付けることができたし、また無用なトラブルを回避する術を覚えることもできた。

ようするに、僕はただ純情なだけではなくて、


「『純情』だけど、スーパーバックパッカー。」


 もしくは


「『少年の心』を持っているけれど、スーパーバックパッカー。」


 というのがベストな表現だと思う。ただこんなことを書いていると、あるいは読者のなかには


「ただの自画自賛じゃねーか」


 とか思ってしまう心無い人間も、ひょっとしたらいるかもしれない。そういうのは僕としても心外なので、つい最近僕の身に起きた出来事を今回はこのブログに書いて、僕が決して出鱈目を書いているわけではないという事を証明したい。そして僕の「スーパーバックパッカーぶり」というのを改めて皆に再認識してもらえればと思う。


つい先日、僕はジンバブエ側からモザンビーク側へと国境を越えた。国境の地名は「マチパンダ」。変な名前だが、別に「たれぱんだ」の親戚というわけではない。ジンバブエはサファリもできるし、野生動物の宝庫だけど、確かパンダはいないはずである。まあパンダはさておき、このとき僕はちょっとした問題を抱えていた。どのような問題かというと、実はジンバブエの通貨がUS10$ぶんくらい余っていたのである。これからモザンビークに行くので、もうジンバブエの通貨は不要だ。そしてUS10$というのは、ハラレだったら1日暮らせる金額である。つまり、決して「捨てても惜しくない」という金額ではない。

こういう時、我々バックパッカーは国境で「闇両替」をする。本来違法行為だが、旅行者にもマネーチェンジャーにも「罪を犯している」という感覚は全く無い。イミグレーションの役人の前で、気楽に取引してしまう事だってある。ただ注意しなければならないのは、相手に「騙されてはイケナイ」ということだ。チェンジャーはこちらが両替レートについての情報を持っていない事がわかると、我々にとんでもないレートで両替させて、利益をあげようと目論むことがある。

だから事前に両国の通貨に関する情報を集めて、それから闇両替するのが望ましい。もちろん僕はスーパーバックパッカーなので、事前にレートをチェックしていた。抜かりは無い。インターネットで調べたところによると、

1万ジンバブエ・ドルが3千モザンビーク・メティカシュになる

との事。僕が現在持っているジンバブエ・ドルは、ちょうど100万。つまり30万モザンビーク・メティカシュになるはずである。そんな事を考えながら僕はまず国境のジンバブエ側で闇両替に挑むことにした。闇チェンジャーが僕に群がってくる。



(チェンジャー)「チェンジ・マネーしないか?」

(僕)     「いいぜ。」

(チェンジャー)「いくらチェンジするんだ?」

(僕)     「100万だ。」

(チェンジャー)「それなら15万メティカシュだな。」


チェンジャーは何食わぬ顔でそう言った。100万ドルが15万メティカシュ・・・。事前に調べたレートの半分の金額だ。安すぎる。きっとこちらが何も知らないと思ってボッタクろうとしているんだろう。そんな単純な手にのるものか。


(僕)     「冗談だろう。30万にはなるはずだぜ。」

(チェンジャー)「30万なんてとてもムリだ。」

(僕)     「どうして?」

(チェンジャー)「ジンバブエ・ドルの価値は毎日下がっていくんだ。経済危機のせいでな。」

(僕)     「それは知ってるよ。1ヶ月もジンバブエにいたからな。でもレートは昨日調べたばかりだぜ。いくらなんでも15万は安すぎるだろう。」

(チェンジャー)「いや、15万が限界だ。それ以上のレートじゃチェンジできないね。」



チェンジャーはやけに強気だった。しかしここで怯んではいけない。こういうときにこちらが不安な気持ちを表情に出してしまうと、相手はそこにつけ込んでくる。たとえ本心は不安だったとしても、気丈な態度を見せ続けなければならない。バックパッカーというのは時に演技力も求められるのだ。


(僕)     「こっちも15万以下のレートじゃチェンジしたくない。レートが上げられないならモザンビーク側で両替するだけだ。」

(チェンジャー)「モザンビーク側にはチェンジャーはいないぞ。チェンジしたいんならここでしな。」



チェンジャーはそう言って(これは彼等の常套手段だ)、最度15万のレートで両替を持ちかけてきたが、結局僕はジンバブエ側では両替をしなかった。何故ならそのとき僕の豊富な旅の経験が、(あるいは旅の神様が)こう僕にささやいたからだ。


「あせるな。闇両替は国境の向こう側でもできるはずだ。今までの国境越えを思い出せ。どこの国境でも両側にチェンジャーがいただろう?うかつに手を出して損をするなんてナンセンスだ。」


僕はその啓示に従い、モザンビーク側で両替することにした。ジンバブエ側で出国手続きを済ませ、次にモザンビークのイミグレーションで入国手続きを済ませ、僕はモザンビーク領内へと足を踏み入れた。すると数人の男が僕に声をかけてきた。


(チェンジャー)「チェンジマネーしないか?」


やっぱり思ったとおりだ。モザンビーク側には闇チェンジャーがいないなんて、奴らの嘘だったんだ。もし僕がスーパーバックパッカーじゃなかったら、危うく騙されるところだった。僕は自分の判断能力に改めて満足し、その男と両替することにした。


(チェンジャー)「チェンジマネーしないか?」

(僕)     「もちろんだ。」

(チェンジャー)「いくらチェンジするんだ?」

(僕)     「100万だ。」

(チェンジャー)「100ドル両替したいのか?」

(僕)     「いや、100ドルじゃない。100万ドルだ。」


(チェンジャー)「・・・アンタひょっとしてジンバブエ・ドルを両替したいのか?」

(僕)     「そうだ。」

(チェンジャー)「アメリカ・ドルじゃなくてジンバブエ・ドルを両替したいのか?」

(僕)     「だからさっきからそう言っているだろう。」

(チェンジャー)「ジンバブエ・ドルはお断りだ。」

(僕)     「何だって?」

(チェンジャー)「ジンバブエ・ドルなんかモザンビークじゃなんの価値も無いからな。」

(僕)     「隣の国の通貨じゃないか。両替してくれよ。」

(チェンジャー)「ジンバブエ側でやるんだな。」

(僕)     「もうモザンビークに入国しちゃったから、ジンバブエには戻れない。レートはいくらでもいいから両替してくれよ。」

(チェンジャー)「悪いが、できない。じゃあな。」

(僕)     「ちょ、ちょっと、待って・・・」




モザンビーク側の闇チェンジャー達はどこかへ行ってしまった・・・

現在、ジンバブエ経済崩壊中。インフレ年率1000%・・・

それをわかっていながら・・・。ああ、僕の10ドル・・・

ジンバブエ側で換えとけば5ドルにはなったのに・・・

スーパーバックパッカーのはずなのに・・・



どうしてですか? 旅の神様・・・


今回は現地情報とはあまり関係の無いハナシ。僕がこのブログ以外に自前のホームページを持っていることは、読者の皆は知っていると思うけれど、
(まだ御存知ない方は「プロフィール」のところ見てください。)
実はこのホームページの掲示板が大変なことになっている。見たことのある人はわかると思うけれど、とにかく「迷惑書き込み」が多すぎる。だいたい1日放置すると数十件ぐらい書き込みされる状態で、ハッキリ言って削除するのがとても追いつかない。本当は掲示板を作り直すのが一番良いのだけれど、今のと同じような掲示板をもう一度作るには、再度CGIプログラムをアップロードしなければならず、その作業は(旅をしながらやるには)面倒すぎるので、ついほったらかしにしてしまっている。

今の掲示板を削除してレンタル掲示板を利用するという方法もあるけれど、できればそれはしたくない。レンタルは広告が入ったり、何よりも自前のアドレス

「kazetairiku.com」

が使えないので、やりたくないのである。

そんなわけで現状の対策としては、日本にいる友人に頼んで時々「迷惑書き込み」をかたっぱしから削除してもらうという事ぐらいしかしていない。日本に帰ったら新しく作り直すつもりではいるけれど、いつ日本に帰るのかハッキリ言って未定なので、皆さんにはもうしばらくご迷惑をおかけすることになります。

それにしても本当に腹が立つ。書き込みの内容はネット販売のサイトへのリンクみたいなのも少しはあるけど、大部分はアダルト系サイトへのリンクだ。特に海外から書き込みされているのが異常に多い。

まあ、業者がプログラムを走らせて自動的に書き込むようにしているんだろうけど、それにしても多すぎる。そんなもの書き込んだって誰もクリックしないと思うのだけれど。それとも誰かクリックするのかなあ?もしクリックする人がいるとしたら、それはいったいどんな人なんだろう?



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ゴメンナサイ。


実を言うと僕、このまえ自分でクリックしちゃったんです・・・。



いや、言い訳させてもらいたいんですけど、今滞在しているジンバブエのネットカフェが料金前払い制で、先日ブログをアップした後に時間が少しだけ余っちゃったんです。それでもったいないから、つい試しに「迷惑書き込み」のひとつをクリックしてみたんですよ。前述したように書き込みのほとんどは海外からのモノなんですけど、たまたまその時は日本語での「迷惑書き込み」を発見したんですよね。それでそれが珍しかったというのも、ついクリックしちゃった理由のひとつなんですけど・・・。

ちなみにその日本語による「迷惑書き込み」のタイトルは、


「必ず会えます!」


というものでした。そんでもってそこに貼られているリンクをクリックしてみたら、なんだか出会い系サイトみたいなのにつながったんです。余っていた時間がそんなに長くなかったので、そのサイトの説明はナナメ読みしかできなくて、だからそれほど詳しい内容は理解できなかったんですけど、なんでも僕の情報を登録して申し込みをすると、素敵な女性に


「必ず会える」


  らしいんですよね。でも本当に


「必ず会える」


  のかなあ? 今、



ジンバブエ



にいるんだけど・・・。


はたしてココまで来てくれるのだろうか・・・・・?

アフリカを旅していると本当に、

「この大陸は安宿が少ないなあ。」

と、感じる事が多い。観光客やビジネスマン向けの値段が高いホテルは結構あるけど、バックパッカーが払えるような値段(500円から1000円くらい)で泊まれる宿っていうのは、ユーラシア大陸にくらべると本当に少ないと思う。もし首都にだけ滞在するのであればユースホステルとかYMCAやYWCAがあるので問題ないけど、僕の旅は首都以外の場所に滞在する割合が圧倒的に多いわけで、そうなると安宿探しには本当に苦労する。特に南に移動すればするほど、その傾向が顕著になっていくような気がする。まあそれでもマラウイあたりまでは教会経営の宿とか、レストランの簡易宿泊部屋とか、時にはやむを得ず売春宿とかに泊まってお金を節約してきたんだけど、ザンビアに滞在していた時は、そういう宿すらみつけられないこともあった。

(注:この文章は現在滞在しているジンバブエで書かれたものです。)

じゃあそれで実際にはどうしたのかというと、実は初めて

「バックパッカーズ」

というところに泊まったのである。リヴィングストンという街で・・・。何故そこに泊まることになったのかというと、ガイドブックに掲載されているリヴィングストンの手頃な宿が、全てバックパッカーズだったからである。こう書くことによってわかったと思うけど、バックパッカーズというのは固有の宿の名称ではなくて、とある種類の安宿の総称である。ではどのような種類の宿をバックパッカーズと呼ぶのかというと、(あくまでも僕個人による判断だが)

1、キャンプサイト、ドミトリー、シングル、ダブルといった、多種の部屋がある。


2、自炊できるキッチン・冷蔵庫がある。


3、バー兼レストラン(ローカルフードは提供しない)がある。


4、ビリヤード台、ダーツ、プールなどの遊戯施設がある。


5、水洗トイレ、温水シャワーが使える。


6、インターネットができる。


7、ヨーロッパもしくはアメリカの放送が見れるテレビがある。


8、外貨の両替(もしくは支払い)ができる。


9、ツアーの手配をしている。


10、英語が通じる

上記の条件のうち、7つか8つくらい当てはまればバックパッカーズと言っていいのではないだろうか。これでバックパッカーズがどのような宿なのかがおわかりいただけたかと思うが、ようするに

「とても便利な宿」

なのである。そして一言付け加えるならば、

「どう考えても外国人(白人)向けの宿」

としか思えないのである。実際、宿泊者のほとんどが白人バックパッカーである。彼等からすれば、自分達の通貨が使えて、自分達の言葉が使えて、自国の情報が簡単に手に入って、普段自分達が食べているものがあって、そして何より自分達と同じ肌の色をした人間が沢山いるところに良さを感じるのだと思う。そういう場所に宿泊したがる彼等の気持ちは、僕にもわからないわけではない。長い旅ならなおさらだ。

ただ僕はこのバックパッカーズという場所がどうしても好きになれない。

僕は別に西洋人が嫌いという訳じゃないし、(自慢するわけじゃないけど)ネイティブを除けば西洋人と英語で普通に会話するのも大変と思わないから、泊まっていて特に問題らしい問題があるわけでも無いのだけれど、ただ何故だかここにいても全然面白くないのである。

セキュリティ・ガードに警護された敷地内で西洋人と英語で会話し、西洋風の食事をして、西洋人とゲームしたりする。まるでヨーロッパにいるような感覚で、本当に僕は今アフリカにいるんだろうか?と、思ってしまう。こんなの別にアフリカじゃなくてもヨーロッパで体験できることだ。つい、そう思ってしまうのである。

マラウイあたりまでは、僕が滞在している宿にいる宿泊客というのは、圧倒的に地元の人間が多かった。(注:エジプトを除く)
彼等とハナシをすることは、僕にとってとても有意義な経験だった。だって僕はアフリカに対する好奇心から、アフリカへとやってきたのだから。

僕はザンビアの後、ジンバブエのとある街ででもバックパッカーズに宿泊したのだけれど、どちらもほとんど同じような宿だった。ただ宿の名前が違うだけだった。普通は国が変われば宿の事情というのは少しは変わるものなのだが、僕がこの先もバックパッカーズに泊まり続けるならば、その違いを感じることはできないだろうと思う。そしてもしどこの国に行っても同じような体験しかできないのであれば、国境を越える意味なんて無い。だって別にスタンプの数を増やしたくて旅をしているわけではないのだ。

ひょっとしたら読者の中の何人かは薄々気がついているかもしれませんが、現在僕は南アフリカのケープタウンを当面の目的地として、旅をしています。そしてそこに辿り着くためには、まだ沢山の街に滞在しないといけないわけなのですが、そういった街について調べる為にガイドブックを読んでいても、ここから南にある手頃な値段の宿の情報というのは、バックパッカーズのそればかりです。どうやら南部アフリカは白人の旅行者が多いようで、そのため安宿は彼等をターゲットとしたバックパッカーズに絞られてしまうようなのです。まあガイドブックに頼らず自力で安宿を探してもいいのですが、問題は


「存在しないモノを探しても見つかるはずが無い」


という可能性も十分に考えられるわけで、これからどうしたものか、悩み多き今日この頃です・・・。


「宿いろいろ - その1(ルワンダ編)」のときと同様、今回もオチはありません。どうも宿の事を題材にすると、ハナシが暗くなってしまうようです。せっかくのクリスマスに愚痴なんかこぼしたりしてスミマセンでした。
(今ちょっと風邪をひいていて、モチベーションが下がり気味なんです。)


年内の更新は、もう無いと思います。それでは皆さん良いお年を・・・。

タンザニアからマラウィへと入国し、現在は首都のリロングウェにてザンビア入国の準備中。と、言ってしまうとあっけないんだけど、マラウイではリヴィングストニア、ムズズ、ンカタベイ、そしてリロングウェと既に4都市に滞在し、もう十分満喫した。この国は特筆すべき見所は無いんだけど、人々がフレンドリーで、治安もアフリカにしてはまずまずなので、けっこう落ち着ける。そういうわけでこれといったハプニングもなく、ブログに書く事も無いなあなんて思っていたら、そういえばンカタベイという街でこんなことがことがあったのを思い出した。

ンカタベイという街はマラウイ湖畔の小さな田舎町なんだけど、きれいなビーチと、リゾートチックなゲストハウスが数件あるので、白人バックパッカーにすごく人気がある。僕が滞在していた宿もいつも西洋人でいっぱいだった。というのも、この宿のバーが湖に面したオープンテラスになっていて、すごく洒落ているから。バーからのレイクビューは最高で、まさに白人好みで、まるで映画のなかの風景のよう。実際に何かの撮影に使ってもいいんじゃないかと思っていたら、なんと滞在三日目にこのバーが本当に撮影に使われているのを目にした。

宿の従業員に尋ねたところ、なんでも「デイブ・カンパラ」という地元で人気の黒人ミュージシャンの、新曲プロモーションビデオの撮影だそうで、そのミュージシャン以外にもカメラマンやらバックダンサーやらスタッフやらが宿に沢山やってきて、それはもうすごい騒ぎだった。

僕はそのときヒマだったので撮影の様子を見学していたのだが、そうしていたら撮影の合間にスタッフのひとりが僕のところにやってきて

「君、ダンスできる?」

と、訊いてきた。まったく愚問である。こう見えても僕はかつて「フォークダンス界の貴公子」と言われたほどであり、六本木のクラブで「マイムマイム」を躍らせれば僕の右に出る者はなく、そんな僕だから当然

「(フォーク)ダンスは得意だ。」

と、答えたところ、何故だかわからないがあれよあれよという間にハナシが進み、そのビデオに出演することになってしまった。普段はキチンと事務所を通していない依頼は全て断るようにしているのだけれど、まあここはアフリカだし、おそらくは特別出演の扱いだろうから、バックダンサーかなんかでそれほど露出することもあるまいと思って軽い気持ちで承諾したのだ。



そして撮影再開、僕の立ち位置はというと・・・


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


・・・・・なんと、ミュージシャンの真横だった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


・・・・・ハッキリ言ってほとんど準主役の位置である。



それからカメラを目の前にして自分が何を踊っていたのか、自分でもよく覚えていないんだけど、まあとにかく、

現在アフリカにいて、デイブ・カンパラというミュージシャンの新譜のミュージックビデオを見る機会に巡り合った方は、是非そこに東洋人が出演していないかどうか確認してください。仏様のような表情でダンスを踊っている、スーパーバックパッカー風の男性がみつけられたら、それが僕ですので。(アフリカのいろんな国のテレビで流れるそうです。)


あっ、そういえば出演料もらわなかった・・・。

海外を長く旅していると、現地の人からしばしば

「あなたの宗教は何ですか?」

 と、訊かれる事がある。そんなとき僕はたいてい

「仏教徒です」

 と、答えるようにしている。ちなみに以前ユーラシアを旅しているときは、最初の頃は正直に

「特に神は信じていません」

と、答えていたんだけど、この無神論的な回答は時々面倒な議論を引き起こしたこともあり、やっぱり何かを信じていないと現地の人は納得しないようなので、仕方なく途中からは



「I believe in only myself.(フッ、俺が信じているのは自分だけだぜ。)」



 と、ハンフリー・ボガードばりのダンディーな答え方に変えたんだけど、これをやると何故か皆が遠い目で僕を見るようになってしまったり、またあまり強く自分を信じすぎると、そのうち自分で何か新しい宗教を(バックパッカー教とか)創始してしまいそうな危険な兆候も出てきたので、それ以来は無難に「仏教徒です」と、答えるようにして現在に至っている。ちなみにこの「仏教徒です」という答え方は非常に便利だ。この答え方のおかげで面倒な議論や勧誘もめっきり減ったし、それどころか最近では




「あなたは仏教徒ですか。なるほど確かに仏様のような表情をしておられる。」



 とか、


「仏教徒になれば、あなた様のような清々しいお顔を持つ事ができるのですか?」



 などと言われることも多く、僕が旅を終える頃にはアフリカ人の半分くらいは仏教徒になってしまうのではないかと思うくらいだ。

でもこれは当然のなりゆきなのかもしれない。自分で自分を分析してみれば、確かに自分は仏の生まれ変わりではないかと思えてくる。なにしろ性格は温厚、表情は柔和、生まれてこのかた一度も本気で怒った事も、声を荒げた事も無い。また我をなくして号泣してしまったというようなこともなく、ようするにいつも冷静で、まるで「悟りを開いた」かのように見えることもある。そんな僕だからアフリカ人が僕を見て仏陀と見間違えたとしても、それは仕方の無いことなのだろう。

先日もそのような僕の性格を端的に現すような出来事が、タンザニアの田舎町であった。良い機会なので今回の記事はその出来事について書いてみて、僕の性格がいかに仏様のようであるのかを、読者の皆様に知ってもらえたらいいなと思う。



ルワンダ滞在を終えることにした僕の次の行き先はタンザニアだった。そのため僕はルワンダの首都キガリからタンザニアと国境を接するルスモという街へ向かうことにした。ルスモまでの道中、そしてルワンダからタンザニアへと国境を越えるのは全く問題無かった。なにしろ事前にルスモまでの交通機関、そして出入国管理、税関といった「国境越え」に必要な情報は全てガイドブックで調べておいたからだ。自分でも言うのもなんだが、僕はいつもすばらしい準備をする。もしこれが素人バックパッカーだったら、どうやって国境を越えたらよいのかわからなかったり、また場合によっては情報不足で咄嗟の時に慌ててしまったりすることもあるのだが、僕の場合はいつも完全な準備の上に国境を越えているので、無用なトラブルに見舞われたことは無い。自慢するわけではないが、僕だって伊達に「スーパーバックパッカー」と呼ばれているわけじゃない。無事に国境越えるぐらい、もう朝飯前のことである。

まあ、そんな感じでスムーズに国境越えを果たした僕は、先へと進むことにした。国境のタンザニア側はルワンダ側と同じくルスモという名の街であり、国境の街という性格上、安宿などはあるのだが、見るべきスポットは何も無い。僕ぐらいの高レベルのバックパッカーになると、街を一目見ただけで「その街に宿泊すべきかどうか」を判別できるようになるのだが、ルスモという街は残念ながら宿泊するに値しない街だった。

これが素人バックパッカーの場合だと初めての街でつい、「何か見所があるんじゃないだろうか」という思いが頭をよぎってしまい、やがてそれが「とりあえず1泊してみようか」ということになり、そして実際に宿泊した結果、「やっぱり何にも無かった」という、宿代と時間の両方を無駄にするということが多々あるのだが、僕の場合はスーパーバックパッカーなので大丈夫である。

そんなわけで僕はさっさとルスモを後にすることにした。そしてそのためは国境からの移動手段を確保する必要がある。実はすばらしいことに、国境を越えてからその先どうすればよいのかも、僕は事前にガイドブックで調べておいたのだ。行き当たりばったりの国境越えだと時間をロスしてしまうところであるが、僕の場合は、そんなヘマはしない。ちなみにガイドブックによれば、

まず国境から乗合タクシーで「ベコマ(BEKOMA)」という街へ行く。ベコマ自体はルスモと同様に何も無い街なので、そこでもう一度乗合タクシーを捕まえて、更にその先にある「ンゴロ(NGORO)」という街へ行く。ンゴロはわりに大きな街で、ルスモやベコマと違って長距離バスのターミナルがあって、タンザニアの主要都市へのバスが出ている。だから今日はンゴロまで行って、そこで宿泊するのがベストである。

国境のタンザニア側にはちょうど一台の乗合タクシーが停まっていたので、僕はドライバーに声をかけた。

「このタクシーはどこへ行くのですか?」

「ベナコ(BENACCO)だけど、乗るのかい?」


残念ながら僕が行きたい「ベコマ」行きのタクシーではなかった。だから僕は断って、タクシーを見送った。ベコマ行きのタクシーは、今はいないようだ。でも大丈夫、国境でモタモタやっていたら、時間が足りなかったかもしれないが、幸い準備がよかったおかげで、まだ時間は十分にある。慌てたり焦ったりする必要はない。

そしてそれから1時間ほど待っただろうか、再び1台のタクシーが停まったので、僕はまたドライバーに声をかけた。

「このタクシーはどこへ行くのですか?」

「ベナコ(BENACCO)だけど、乗るのかい?」

どうやらこのタクシーもベコマへは行かないらしい。僕は断って再度ベコマ行きのタクシーが現れるのを待つことにした。なんといってもここはアフリカである。日本のように交通機関が発達しているわけではない。少しくらい待つのはよくあることだ。

そしてその後また1時間くらい待っただろうか。3度目のタクシーが僕の前に現れた。きっと今度こそベコマ行きのタクシーだろう。僕はドライバーに声をかけた。

「このタクシーはどこへ行くのですか?」

「ベナコ(BENACCO)だけど、乗るのかい?」

「・・・ベナコじゃなくて、ベコマに行きたいんですけど、ベコマ行きのタクシーはいつ来るのかわかりますか?」

「ベコマ?それいったいどこのことだい?」

「どこって、隣町のベコマですよ。」

「ああ、それならベコマじゃなくてベナコのことだよ。さあもう出発するから、早く乗んな。」



・・・なんということだろう。僕が行きたかった街は、ベコマじゃなくてベナコだったのか。どうやらガイドブックの記述が間違っていたようだ。おかげでタクシーを2本も逃がしてしまった。あと時間もロスしてしまった。とりあえず僕はすぐさまドライバーに従って、彼のタクシーでベコマ・・・じゃなかった、ベナコまで行くことにした。

ベナコまでの道中、タクシ-の中で今回の失敗について考えていた。今回の失敗はあきらかに僕のせいではない。それはハッキリしている。だってガイドブックの記述が間違っていたのだから。でも、それがどうしったていうのだ。別にたいしたことじゃないじゃないか。完璧なガイドブックなんてどこにも存在しない。そもそもガイドブックを製作しているのは人間であり、人間の仕事である以上、たまには間違いだってあるだろう。僕は別にガイドブックを、ましてや出版社を責めたりなんてしない。なにしろ僕は、生まれてこのかた一度も他人を責めたことが無いのだ。仏陀のように優しい僕の性格が、他人を責めるという行為を許さないのである。


ベナコに到着したとき、時刻は既に夕方だった。国境で2時間をロスしたのは予定外だったが、まだ大丈夫。許容範囲内である。ここでスムーズで乗り換えができれば、十分に帳尻を合わせられるはずだ。だから僕はすぐにンゴロ行きのタクシーをさがすことにした。そして運が良いことに僕はすぐに1台のタクシーを見つけることができた。タクシーはほぼ満員の状態で、今にも出発しそうな状況だった。僕はすかさずドライバーに声をかけた。


「このタクシーはンゴロへ行きますか?」

「ンゴロ?」

「はい。」

「いや、ンゴロには行かない。だがンガラ(NGARA)なら行くぞ。」

「そうですか・・・。それでは結構です。」



すぐにタクシーが見つかって運が良かったと思ったが、残念ながらンゴロ行きではなかったので、僕は断った。少しばかり急いでいるとはいっても、まさか違う行き先のクルマに乗るわけにはいかない。仕方なく僕は次のタクシーを待つことにした。

実は正直に言うとこのとき、つまり次のタクシーを待っている間のことだが、僕は少し焦っていたかもしれない。でもその焦りは表情に出るほどまでは至っていなかった。なにしろ僕は仏様なみの性格である。この程度のことで表情を崩すわけがない。何故なら時刻は夕方と言っても完全に日が落ちたわけじゃないし、恐らく次のタクシーに乗ることさえできれば、それほど遅くない時間にンゴロに辿り着けるはずである。だから僕はしっかりとセルフ・コントロールしてタクシーを待っていた。これが普通のバックパッカーなら、とっくにキレてしまっているところだろうが、僕の場合は大丈夫だ。だって僕は仏様のような性格で、しかもスーパー・バックパッカーじゃないか。





そして・・・・・  





次のタクシーがやってきたのは・・・・・





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・






なんと2時間後であった。僕が声をかけるよりも先にドライバーのほうが僕に声をかけてきた。




「ンガラへ行くのかい?」

「・・・ンガラ? いえ、ンガラじゃなくてンゴロに行きたいんです。」


「ンゴロ?」

「ええ、そうです。」

「ンゴロなんて街は聞いたことが無いな。他の街と間違えているんじゃないのか?」

「えっ?他の街?」

「ああ、例えばンガラとか。」



ん? なんだろうこの感覚は? なんだか前にも同じような事がなかったか? デ・ジャヴとかいうやつか?なんだか嫌な予感もするが、僕はドライバーにおそるおそる尋ねてみた。




「ンガラって大きな街ですか?まさかバスターミナルとかあったりします?」



「ああ、もちろんだ。ンガラは大きな街だから何でもある。宿も銀行も、もちろん長距離バスのターミナルだってある。ンガラからならどこへでも行けるぞ。」





・・・そのとき、僕は自分でも知らないうちにガイドブックを地面に叩きつけていた。もうほとんど半狂乱に近い状態で、表情はと言えばどう見ても「仏様」というよりは「大黒天」に近かった。もしそこに誰もいなかったら、持っていたライターでガイドブックを燃やしていたかもしれない。そしてそんな鬼神のような表情の僕に対して、ドライバーが問い掛けてきた。



「おい! いったいどうしたんだ!? 何をそんなに怒っているんだ?」



ドライバーに対し、僕はこう答えた。



「・・・僕を今すぐンガラに連れて行ってください!」




ンガラに到着したとき、日は既に暮れ、というかもう真夜中だった。僕は街の中心でタクシーから降ろしてもらったのだが、街灯も無く真っ暗で、全く地理がわからない。というのもンガラは大きな街だが、それは「地方にしては大きな街」という意味であり、ガイドブックには街の地図すら掲載されていない。そんな街だから当然どこに宿があるなんて情報も全く無く、僕はもう泣きそうだった。初めての国で入国初日、真夜中の街を大荷物背負って一人で歩かなきゃならないなんてもう最悪である。もしここがナイロビだったら今ごろとっくに身包みはがされている。下手をすれば命だってなくしてるかもしれない。ンガラはどうやら田舎のぶんだけ治安はよさそうだけど、でも田舎のぶんだけ人通りも少ない。

僕は右も左もわからない状態で、とにかく闇雲に歩いた。いったいどれくらい歩いたのか気が動転していて全く覚えてないのだが、やがてなんとか通行人を一人見つけることができた。僕は思わずその人に駆け寄り、

「この近くに宿は無いでしょうか?」

と、もうほとんど半泣きの表情で尋ねた。ひょっとしたら鼻もたらしていたかもしれない。ヘナチョコなガイドブックのせいで仏様のような表情が台無しである。

それからその通行人はオジサンだったんだけど、カタコトのスワヒリ語しか話せなくて、おまけに半ベソかいてる外国人の僕に対して、宿の場所を教えてくれるどころか、わざわざ宿まで連れて行ってくれた。宿に着いたときにコミッションをくれとも言われなかった。もしここがエジプトだったら絶対にいくらか払わされているところだ。とにかくすごく親切だった。ハッキリ言ってそのオジサンが仏様に見えた・・・。



記事の冒頭でも述べたように、僕の影響からアフリカ中に仏教が広まるのは間違いないだろう。恐らく間違いないだろう。多分間違いないだろう・・・。でも・・・・・

でも、ひょっとしたらタンザニアだけは仏教が広まる事は無いかもしれない。しかしながら、例えそうなったとしてもそれはみんなヘナチョコなガイドブックの間違いのせいであり、決して僕のせいではないことをハッキリとここに明記して今回の記事をしめくくりたい。



今ルワンダに滞在していますが、この国は宿代が高くて非常に困っています。首都のキガリでは安宿でなんと1泊10ドルくらいもします。僕はキガリ最安値と言われている宿に泊まっていたのですが、それでも1泊6ドル。でもこの宿は本当にひどかった。まがりなりにも首都の宿だというのに蛇口をひねっても水が出ない、電気もまともに点かないという、もうどうしようもないところです。原因はよくわからないけど、現在キガリは1日のほとんどの時間帯で電気が無く、街灯も信号機も点灯していません。おまけにルワンダは今雨季なので毎日曇りか雨。太陽も月も見えないので夕方になると暗すぎてもう街を歩けません。それじゃあ宿にいようと思っても部屋は3畳くらいしかなくておまけに窓も無くて息苦しく、それなら寝てしまおうと思っても蚊帳がついてないなので蚊取り線香使ったら部屋が狭すぎて一層息苦しくなってもう本当に嫌になってしまいました。

アフリカには値段に見合った宿がある国があんまり無いっていうのはもうわかっていたつもりだったけど、ルワンダに来てその事実を改めて痛感しています。東南アジアだったら5ドルもだせば結構良い宿に泊まれますけどアフリカではそうはいきません。

まあそんなわけで首都が嫌になり、今は地方を廻っているのですが、ルワンダは田舎でも宿が高い。少し前に滞在していた南西部のチャンググという街だか村だかよくわからないところには宿泊施設が4軒あったのですが、1軒目に訪ねたゲストハウスは1泊10ドル、2軒目に訪ねたホテルでは1泊16ドルと言われてしまって(3軒目も似たような値段だった)、一時はもう本気で野宿でもしようかと思ったぐらいです。最後の4軒目が安くなかったら、絶対に野宿してましたよ。実を言うとアフリカでもう5泊野宿してるんです。スーダンで3泊、エチオピアで2泊。やりたくなかったけど、やらざるをえない状況だったんです。テントも寝袋も持ってなかったのに・・・。

まあ野宿のハナシはおいといて、その4軒目の宿なんですが、1泊2000RWF(ルワンダフラン)なんですよ!と、書いたところでルワンダフランの価値を御存知の読者なんてほとんどいらっしゃらないと思いますので説明しますと、現在1米ドルが約550ルワンダフランなので、4ドル弱という値段です。ルワンダにしては安いと思いませんか?

でもここは値段は安かったけれど、ちょっと居ずらいところでした。ちょっと普通の宿とは性格が違うんですよね。まず名前からしてちょっと変わってる。「聖フランコイスの家」って言うんです。この宿名でピンときた読者がいたとしたら、その方は安宿に泊まり慣れている正真正銘のバックバッカーですね。そう、ここは教会が関わっている宿でして、どうやら商売目的で運営されているわけではないらしいんです。そのおかげで値段は安いんですけど、いろいろと変わった点もあります。

まず食事。実は宿泊者全員が同じ部屋で同じ時間に食べるんです。朝食も夕食も。なんか不思議な雰囲気でした。僕が滞在していたときは他に3人の宿泊者がいましたが、全員がルワンダ人。といってもこれはしょうがないんですけどね。先ほども言いましたが、今ルワンダは雨季なので旅行には適していません。実際のところ首都でもこのチャンググでも、とにかくルワンダに来てからは僕、日本人はおろか欧米人さえ一人も見ていません。そんなわけでルワンダ人のなかに一人だけ日本人が混じって一緒にメシ食べてるわけです・・・。たぶん御一緒したルワンダ人は



「なんでこんなところにに東洋人が泊まっているんだ?」



なんて思っていたことでしょう。おまけに食べ方なんですけど、レストランなんかと違ってここではひとつの皿に全員分の料理が盛られてあって、それを皆で分け合って食べるというやり方なんです。なんかクラブの夏季合宿みたいですよ。でもこれ、すごく大変だった。一緒にいるルワンダ人は英語全然ダメで、それに対して僕はフランス語全然できない。(ルワンダの公用語はフランス語とルワンダ語)だから意思の疎通に苦労する。



「塩を取ってもらえませんか?」



 ぐらいならジェスチャーで何とかなるからいいけど、



「もっと食べてもいいですか?」


 なんて意思は、本当に説明するのが難しかった。かといって遠慮してると少ししか食べれなくなっちゃうから困るし・・・。

あるいは読者のなかには「そんなに面倒なら他所で食べればいいのに。」というアイデアが浮かんだ方もいるかもしれませんが、チャンググの村は田舎すぎてレストランというものが無いんですよ。だから滞在中、僕はずっとここでメシ食べてました・・・。

そんなわけでルワンダには(ルワンダにも?)疲れてしまったので、もうすぐタンザニアに向かいます・・・。ああ、もう少しだけでいいからラクな旅がしたい・・・。





ベッドの横に掛かっていた十字架。ちょっと不気味だった・・・。

今回は「おみやげ」のハナシです。御存知の方も多いかもしれませんが、実は「旅のお土産」は最後の国で買うっていうのが、長い旅をするバックパッカー達の間では常識になってます。

荷物が増えるのはバックパッカーにとって命取りだし、いつ旅が終わるかもわからないから下手にお金は使えないしと、そういうわけで旅の途中で余計な買い物をしないのが、頭の良いバックパッカーです。

一応、買ったものを「日本へ送る」という方法もあるんですけど、これも結局お金がかかるし、アジア・アフリカなんかは中央郵便局から送らないと届くかどうかもわからないとか、届いたとしても中身が抜かれていたとか、そんな理由で、これもしょっちゅう使えるワザじゃありません。

だから僕も極力「お買い物」はしない方針で旅を続けているんですけど、でもたまに「どうしても欲しいモノ」ってのが見つかっちゃうんですよねえ。今回の旅では今まで一度も旅に必要なもの以外は何も買っていなかったんですけど、実は今滞在しているウガンダで、どうしても我慢できずに初めて買い物しちゃったんです。







ちなみに僕が買ったのはコレです。
















「ウガンダ代表オフィシャルユニフォーム!!」










・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・









ウガンダ代表ユニフォーム・・・




ウガンダ代表・・・




ウガンダ・・・




ああ・・・



なんでこんなもの買っちゃったんでしょう・・・。それも2000円も払って・・・。宿代5泊分ですよ・・・。おまけにかさばるし・・・。

実はこれ探すのにかなり苦労して、見つけたときにはメチャクチャ嬉しかったんですけど、何故か買った翌日には自分の買い物に疑問を感じ始め、2日後には既に後悔していました。ああ・・・。

ウガンダのユニフォーム持ってる日本人なんて、絶対にいないよなあ。海外のサッカーチームのユニフォーム集めてる人って結構いるみたいだけど、ウガンダのユニフォームなんて欲しがる人なんてさすがにいないだろうな・・・。ネットオークションに出品しても多分ダメだろうなあ・・・。



ああ、旅の神様は許してくれるだろうか・・・



長く旅をしていると、時々その道中で日本人旅行者とすれ違う。そういうとき僕達は自己紹介や旅の情報交換、またはお互いの旅遍歴を語り合うなどして時を過ごす。こういう時間は僕達にとってなかなか有意義なので、つい長々と話し続けてしまうのだが、あまりに長く話し続けていると、しだいにハナシの主旨が変わっていって、


「ヒッチハイクで何百キロ進んだ」

とか

「何泊連続で野宿した」

とか

「どんなに危険な場所をいかに無事にすり抜けたか」


とかいって、もうなんだか武勇伝の品評会みたいになってしまうことが多々ある。ちなみに僕はこのテの自慢話が大嫌いである。そもそも人に自慢するために旅をしているわけではないし、海外でどんなに苦しい経験を積んだとしても、それが人に自慢できる事だとは思わない。だから僕は過去にも


「ヒッチハイクでエベレストに行ったんだぜ」


  なんてイスタンブールの日本人宿で自慢しまくったとか


「ボスニアなんていまだに地雷が埋まっているけど、俺は全然大丈夫だったぜ。」


  といったような武勇伝を、西ヨーロッパで会った卒業旅行の女子大生に、訊かれてもいないのに自らペラペラと喋りまくったとか、そういうような事をしたことは無い。何故ならそういうのはとても恥ずかしいことだし、何よりも僕が自慢話が嫌いだからである。だからこのブログでもそういった武勇伝について書くつもりはない。エジプトから始まってスーダン・エチオピアと、これまで飛行機を使わずに旅をしてきて、その行程はとてもハードで実際幾つもの武勇伝を残してきており、それについて書くこともできないわけではないが、万一間違って自慢話と思われてはとてもかなわないので、僕は決して書かない。だから今回も従来どおりのリアルタイム現地報告として、現在滞在しているケニアの首都ナイロビについて書こうと思う。



ケニアの首都ナイロビ・・・



南アフリカのヨハネスブルグ、ナイジュリアのラゴスと共に「アフリカ三大凶悪都市」と言われる街である。いや、この際「世界三大凶悪都市」と言っても決して過言ではないだろう。ガイドブックの記載や日本大使館が発する警告、そして旅行者の情報によれば





「10人がかりでひとりを襲う」



「腕時計を奪うために腕ごと切り落とす」



「抵抗したら容赦なく銃で撃つ」



「周りの人間は見て見ぬフリ」





全く恐ろしすぎる街である。特に最近の犯罪発生率と凶悪度は増加の一途をたどる一方で、反面犯人の検挙率は低下してくばかりだそうで、これはもう本当に自分の身は自分で守るしかないといった感じである。なにしろ旅行者以上に事情に詳しいはずの現地居住の日本人でさえ、白昼堂々銃で射殺されているくらいである。これでは普通の外国人なんておちおち旅行もできない。そんなところで僕がいったいどうしているのか皆も気になっていると思うので、僕のナイロビでの毎日を書こうと思う。


僕は現在ナイロビはダウンタウンの「リバーロード」という通りにある安宿のひとつに滞在している。ガイドブックによれば、この地域はナイロビでも最も危険な地域であり、過去に多くの外国人が武装強盗の餌食になっているところである。しかしながら僕個人に限っていえば、今のところ全く無事である。なぜかと言うと



「全く外出していないから」



である。いや、別に出歩くのが怖いわけじゃない。過去に数々の武勇伝を残してきたこの僕だ。いくらナイロビが危険といっても、武装強盗ごときに遅れをとる僕じゃない。むしろ本来なら街へ繰り出してナイロビ警察に代わって悪党どもを退治してやってもいいぐらいなのだが、実は大切な理由があって、いつも部屋にいるのである。誤解のないように、これからその理由を説明したい。



現在、僕は節約のために相部屋に宿泊しているのだが、僕のとなりのベッドにいる人物が「エーデル」という名のアイルランド人の女子大生である。白い肌にブロンドヘアー、スタイル抜群のものすごい美人だ。もし彼女のような女性に告白されたら、普通の男なら一発で落ちてしまうだろう。そのくらいの美女なのだ。


ただ彼女、外見はパーフェクトなのだが、素行に少々問題がある。困ったことにこの女性、実は部屋にいるときはほとんど「下着姿」なのである。ブラジャーとパンティーしか身につけていないのだ。あと、何故だかそのブラジャーとパンティーをいつもベッドに放り出しにしたままで外出したりしてしまう。もし節操の無い男がそんな光景を見たらよからぬ気持ちになるであろう。しかし読者もご存知のように僕はいまどきの日本人には珍しいくらいの純情青年なので、女性の下着にも彼女にも全く関心は無い。無いけれども、なぜかいつも僕は部屋にいる。



彼女が部屋にいるとき、僕はいつも彼女の事を見ている。いや、誤解しないでもらいたい。彼女と会話をしているだけである。


彼女が部屋にいないときも、僕はいつも彼女のベッド周辺を見ている。いや、これも誤解しないでもらいたい。不審者が彼女の下着を持ち去ったりしないように、見張っているだけである。



まったくそんな事情のために、僕は本当はナイロビの街を歩き回りたいのだけれど、残念ながらそれもかなわず部屋にこもっているのである・・・。本当に残念である・・・。まあそれでも、どんな理由であれ、僕が「凶悪都市ナイロビでも臆することなく過ごしている」のは事実であり、これはもう武勇伝中の武勇伝といっても決して言い過ぎではないだろう。しかし・・・



・・・しかし、初めにも言ったとおり、僕は旅の自慢話というやつが大嫌いである。だから今まで旅の武勇伝について自ら語った事はほとんどないし、恐らくこれからも無いだろう。特に「危険なナイロビの街でも無事に過ごせた」という武勇伝とその理由については、一生誰にも語るまいと、固く心に誓っている。そのワケは決して


「恥ずかしくて人には話せない」


からではなくて、あくまで


「自慢話が嫌いだから」


である。勘違いしないでいただきたい。



以前エチオピア北部バハルダールのネット屋でウルルン滞在記を見せられて大変迷惑したというハナシを書きましたが、実は今回の話題はその続きです。ただ今回はいつものふざけた記事ではなく、真面目にウルルンというものを検証しようという、極めて真摯な内容ですので、もしそういう真面目な話題が苦手という読者がいらっしゃいましたら、今回の記事は読んでいただかなくても結構です。ブログというのは人に読んでもらってはじめて成り立つものなのに、筆者がそういうことを言うのは大変生意気だというのは重々承知してはおりますが、仕方ありません。読者の貴重な時間を無駄にしないためにも、あえてあらかじめ書かせていただきました。


さて、ウルルン滞在記というのは皆さんも御存知のように、日本のテレビ番組です。若い芸能人が海外に出向いて行って、その地方の風習に馴染むとか、独自の文化を習得するとか、以前紹介したように現地人になりきるとかいったような主旨の番組です。この番組が多くの視聴者の感動を呼ぶのには沢山の理由があるかと思いますが、僕としては何故感動してしまうのかということについては大きく分けて二つのポイントがあると考えています。


1、主人公が苦労する


  日本人は苦労話が大好きです。何もわからない異国でたった一人で現地に溶け込もうとする姿が日本人の持つ情に訴えるのではないでしょうか。


2、悲しい別れ


  大抵の場合主役の俳優は現地家庭にホームステイしています。しかしそれは永遠ではありません。いつかは別れの時がやってきます。ただ短い期間とはいえ寝食を共にすればそれはもう家族も同然です。そういった家族と別れるというのはやはり悲しいものです。番組の終わりで感極まって涙している光景を映像で観てもらい泣きした方もおられるのではないでしょうか。


以上の二点が感動のポイントだと僕は考えています。僕と同じような意見の読者はきっとおられると思います。ただもちろん「そんな理由じゃないよ」という意見の方もいらっしゃるでしょう。それはそれで構いません。皆が同じ考えである必要などありませんし。

また人によっては、これは特にバックパッカーに多いのですが、番組そのものを否定する人もいます。こういう人達の意見は多くの場合




「どうせガイドとか旅行会社を通してんだろ?」

「テレビ局が大金払ってるのに何がウルルンだよ」

「あの涙だって演技なんじゃないの?」

「しょせんヤラセじゃねーか」




といったような感じです。僕はこういう意見にも一定の理解を示すことができます。僕自身バックパッカーである以上、他のバックパッカーと同様に今までに何度も現地の方達と触れ合ってきました。そういった経験を繰り返していると、あの番組がなんだか大げさでわざとらしく思えてくる時もあるのです。

ようするに、


「あんなのは本当のウルルンじゃない」


という考え方を心の中から排除することができないわけです。

では本当のウルルンとはいったい何なのでしょうか?

このブログの読者にはおそらくバックパッカー経験の無い方も沢山おられるでしょう。そういった方々のために、僕が実際に目にした「本当のウルルン」をここで紹介したいと思います。実はつい数日前、僕はそれを見たばかりなのです。




現在僕はエチオピアの首都アジスアベバに滞在しています。泊まっているホテルは安宿ではありますが、ガイドブックに掲載されていることもあって、日本人のバックパッカーもよく利用するところです。ここはエチオピアの一般的な宿と同様、レストランとバーが併設されていてなかなか便利なのですが、このレストランで働くエチオピア人のなかに、「マルタ」という名の若い女の子がいます。ひょっとしたら皆さんはこのマルタという名前に違和感があるかもしれませんが、エチオピアはキリスト教国なので、生まれてくる子供にしばしばクリスチャン・ネームを与えます。ですからこのマルタという名前も特別珍しいわけではありません。

僕はこのマルタと仲が良く、ヒマなときはレストランでコーヒーをすすりながら他愛も無い会話をしているのですが、先日このマルタが笑顔でこんなことを言ったのです。


「私ね、自分の名前を日本語で書けるんだよ。」


どういうことか詳しい説明をマルタに求めたところ、何でも以前ここに宿泊した日本人旅行者が、やはりマルタと仲良くなって、そのときに日本語での名前の書き方を彼女に教えたのだそうです。僕は彼女の説明を聞いたとき、なんだかすごく幸せな気持ちになりました。ささいな事かもしれませんが、こういうのが本当の人間同士の付き合いなのではないでしょうか?何もヤギの血をすするばかりが人との交流ではありません。お金やガイドを使わなくたって、お互いの身の上話を打ち明けたり、挨拶の仕方を教えあったり、小さな事でも心さえ触れ合う事ができれば、それこそが「本当のウルルン」なのではないでしょうか。

エチオピア北部を陸路で旅行するのは大変ハードでした。アジスアベバに辿り着いた時の僕はもう身も心も疲れきっていたのですが、彼女のハナシを聞いたら、なんだかその疲れさえも吹き飛んでしまうような気がしました。


そして僕はこの幸せな時間をもっと楽しみたくて、マルタにこう頼んでみたのです。


「すごいね。日本語で書けるんだ。ちょっと書いて見せてくれるかい?」


僕がそう言って紙とペンを渡すと、彼女は


「もちろん、いいわよ。」


と言ってペンを取り、おもむろに自分の名前を日本語で、こう書きました。↓

































「丸太」











・・・・・・・・・・・・・・・



丸太・・・・・マルタ・・・・・









いや、確かに間違ってはいない。もしマルタを日本語で書こうとしたら「丸太」というのはひとつの選択肢ではある。でも、でも・・・








それが女の子につける名前ですか?

ちょっとヒドくない?

ひらがなで「まるた」でいいんじゃないですか?

いや別にカタカナで「マルタ」でもいいよ。

よりにもよってどうして漢字で「丸太」なんだよ・・・

そんなウルルンいらねえよ・・・たとえヤラセじゃなくても・・・






以上、エチオピアの首都アジスアベバで目にした「本当のウルルン」についての報告でした。テレビ番組同様に涙していただけたなら、報告者としてはこれに勝る喜びはありません。