アフリカ大陸リアルタイム旅日記 -3ページ目

アフリカ大陸リアルタイム旅日記

アフリカ大陸を彷徨うバックパッカーが、旅の様子をリアルタイムに報告します。

海外を旅する上で必要なものというのは沢山ある。まずパスポートが必要だし、お金も必要だし、あと勇気も必要だし、その反面場合によっては臆病さも必要だったりする。でも時として痛感するのは「情報の大切さ」である。情報無しに旅することは不可能に近い。そして情報を得るのにもっとも簡単な方法はガイドブックである。


よく


「ガイドブックなんかいらないよ。現地で人に尋ねればすむことだ。」


という旅行者がいるけれど、それは現地人から「情報をもらっている」のであり、結局のところガイドブックを使ってないだけで、情報を利用していることにかわりはない。そんなわけで僕の場合は特に信念などは持ち合わせていないので、ガイドブックを持って旅行に出るし、持っていくからには活用している。面倒なので隅から隅まで熟読したりはしないが、宿とか交通機関など、重要なところは必ず目を通す。ときには僕にとっては珍しいことだけど、観光に関する記載まで読んだりして、実際にそのとおり観光することだってたまにはある。特にアジスアベバではもう2週間も滞在しているからさすがにやることなくなって、ガイドブック片手にかなり観光した。


いや、どうしてそんなに長く滞在していたのかというと、実はクリスマスを待っていたのである。


「こんな時期にクリスマス?」


そう思われる読者もおられるかもしれないが、実はエチオピアはキリスト教国ではあるがその解釈の違いから独自の暦を採用しており、我々の暦で9月11日がこちらでは新年の1月1日にあたるのだ。つまり現在こちらでは12月の下旬ということになる・・・と、偉そうにウンチクを並べてみたが実は全部ガイドブックに書いてあったことである。僕はそのガイドブックのエチオピア暦に関する記述を読んで、2週間くらいならアジスアベアに滞在してエチオピアのクリスマスを見てみようかな、と思ってアジスアベバに残っていたのである。ひょっとしたら


「クリスマスなんてどこの国でも体験できる」


という方もいるかもしれないが、ハッキリ言ってその考えは違っている。クリスマスとはあくまでキリスト教の祭日であり、キリスト教国のクリスマスというのは、やはり本家ならではの独特な雰囲気をもっている。日本の商業主義オンリーのクリスマスとは全然違うのである。


それにしてもガイドブックを読んでいて本当に良かった。もしガイドブックを読んでいなかったら、暦のことなんか気にもとめずにクリスマスを見逃して次の国に進んでいたかもしれない。情報というのは本当に大切であると、改めて痛感する。


まあ、そんなわけで観光とかして2週間クリスマスを待っていたのだけれど、さすがにそれくらい滞在するともうガイドブックに書いてある観光スポットはみんな廻ってしまった。そうなるとヒマでやることもなくなり、なんだか「沈没」という危険な匂いも漂いはじめてきたので、これはヤバイと思ってツーリストインフォメーションに行くことにした。ガイドブックを持っていたので、はじめは行く必要は無いと思っていたのだけれど、こうなってはもうインフォメーションを頼ってガイドブックに書かれていない情報をもらって観光するしかない。で、先日実際にインフォメーションに足を運んでいろいろと尋ねてきたのである。対応してくれた女性職員はいろいろと親切に教えてくれました。以下がその内容。



(僕) 「もう博物館も教会もマーケットも温泉も廻っちゃって、アジスアベバであとどこを観光すればいいのかわからないんです。他にオススメの場所はありますか?」


(彼女)「うーん、それ以外にツーリストが観るところはアジスアベバには無いと思うわ。他の街に行ったらどうかしら。」


(僕) 「いや、僕はアジスアベバからエチオピアに入ったわけじゃなくて、いろいろと他のエチオピアの街を廻ってからアジスアベバに着いたんです。だからもう他の街はもう十分だし、それにこの街でクリスマスを見たいから、他の街には行きたくないんです。」


(彼女)「そんなに長く滞在するつもりなの?」


(僕) 「いや、別に長くないでしょ?もうすぐクリスマスですよね?」


(彼女)「えっ?だってエチオピアのクリスマスは1月7日よ。それまで待つつもりなの?」


(僕) 「1月って、エチオピア暦の1月?」


(彼女)「違うわよ。あなたたちの暦での1月よ。だからあと4ヶ月くらいあるわね。」


(僕) 「えっ?どうしてですか?クリスマスといえば12月25日だから新年の7日前ってことですよね。エチオピアの新年は僕達の暦で言えば9月11日だから、つまりその7日前の9月4日がクリスマスってことでしょ?」


(彼女)「いいえ。エチオピアとヨーロッパではキリスト教についての解釈が違うの。ヨーロッパでは12月25日がクリスマスだけど、エチオピアでは4月の下旬がクリスマスなのよ。あなた、あと4ヶ月もアジスアベバの滞在するつもりなの?」


(僕) 「・・・・・・・・・・・」



それから彼女はガイドブックにも書かれていない、エチオピアのキリスト教に関するとても深い情報をいろいろと僕に教えてくれました。でも何故だか僕はそれをうわの空で聞いていました。


旅をする上で情報は大切である。特にエチオピアでは何よりも大切である。皆さんもエチオピアを旅行される際には、必ずガイドブックを隅々まで読んでください。あと到着初日にツーリストインフォメーションを訪れて情報を得ることを強くお勧めします・・・。

さてさて、現在はエチオピアに滞在しております。スーダンより陸路国境越えしてやって参りました。この移動もメチャクチャにハードだったんですけど、そのハナシはとりあえずパスしておいて、今回は「迷惑」について書きたいと思います。


長期でバックパッカーをやった経験をお持ちの方は、恐らく一度は読んだ事があるだろうと思いますが、外国人ばかりが泊まる安宿には「情報ノート」というモノがあります。それはどういうシロモノかということについては面倒なので書きませんが、今回の旅で僕は既にエジプトのカイロでそれを読みました。そしてそれを読んでいたときに気付いたんですけど、情報ノートの文章には必ずといっていいほど使われる決まり文句ってのがあるんですよね。それはどういう言葉かというと、



「後から来る人の迷惑にならないように・・・」



という言い回しです。これはどういうときに使うのか、幾つか例をあげて説明すると



「アナタが現地人にボラれてしまうと、奴らは味をしめて同じ事を繰り返します。後から来る人に迷惑をかけない為にも、ここに書いた物価をよく覚えておいてください。」


こんな感じで使います。上記の文章について説明しますと、バックパッカーの多くは無職にもかかわらず長期で旅しようという連中なので、余分なカネを持っている人というのはほとんどいません。ようするに必然的に節約しなくてはならない状況に追い込まれるわけです。だからモノを購入する際には、現地人と同じ価格で買おうとするわけなのですが、しかしながら初めて来た国の本当の物価なんてすぐにわかるわけがありません。それでそういう人達のために皆が親切心でノートに適正な物価を書き連ねていくのです。僕自身この情報に助けられて余分なお金を使わずに済んだ経験が何度かあります。もし何も知らずに買い物していたらボラれてしまって、他の旅行者に迷惑をかけていたかもしれません。自分が損するだけならまだしも、自分が原因で他人に迷惑かけるのは、やっぱりイヤですよね。


さて、それでは次の例に移ります。この文章もよく情報ノートで見かけます。それは日本の女性旅行者が他の日本人女性旅行者に対して書いたメッセージです。



「この辺りをうろついているカタコトの日本語をしゃべる若い現地の男につきまとわれてとてもイヤな思いをしました。勝手に身体に触ってくるし、部屋の中までついて来ようとするし、挙句の果てはセックスまで誘ってきて本当に散々です。以前日本人の女性旅行者がこの男と寝た事があるとのことで、そのせいでセックス目的で日本人女性のみをターゲットに絞っているみたいです。海外でどんな恋愛をしようが、もちろん人それぞれの自由だと思いますが、くれぐれも後から来る女性旅行者の迷惑にならないようなカタチで遊んでください。」


上の文章について、海外での恋愛を楽しむ女性にはなかなか厳しい意見ですが、でも僕はこの文章を書いた女性の気持ちが痛いほどよくわかります。何故なら僕も同じような経験をいつもしているからです。僕自身は全く意識していないのですが、きっとあまりにも純粋すぎる僕の少年のような心が自然とさわやかなルックスに見せてしまうのでしょう、しょっちゅう現地の女性達から黄色い声を浴びせられて本当に困っているのです。つい先日も




「1ディナールちょうだい」


「ねえ、これ買ってよ。」


「チャイナ!」



というように沢山の女性達が声をかけてきて本当に参りました。でも皆さんも御存知なように僕は遊びの恋はしない男です。現在僕に彼女はいませんが、今はイングリット・バーグマンを探している最中なので、声をかけてくる女性達の相手をすることはできません。だから僕は彼女達の気持ちを傷つけないように、



「金は無い」



と言って丁重に断ってやりました。



ふう、あれ?なんだかハナシがそれてしまいましたね。そうそう、「迷惑」のハナシをしていたんだった。いや、なんで今回こんな話題を取り上げたのかというと、実はエチオピア北部のバハルダールというところで実はとんでもない目に遭ってしまったからなのです。


バハルダールというところはエチオピアで一番ツーリスティックな街で少々ウザイのですが、でもそのおかげでインフラはけっこう整っているんです。ネット屋もいっぱいあるし、うち数件は日本語も使えて実に便利です。それで僕もネット屋でメールとホームページのチェックをしたのですが、その帰り際に店の女の子に呼び止められたのです。いかにもエチオピア美人といった感じのチャーミングな女の子でした。僕はそのとき正直「またか」と、思いました。でもそれを表情に出しては彼女が可愛そうなので、



「君の気持ちは嬉しいけれど、今はバーグマンを探している最中だから・・・」


と、いかにも申し訳なさそうに答えようとしたところ、何故だか彼女は僕の返事を聞く前に



「ねえ、ちょっとコレ見てよ。」


と、パソコンのモニターを指差しながら僕に言ったのです。モニターをのぞいてみると、そこには僕に対する愛の告白がアムハラ語で書いてあったかというと実はそうではなく、なんとモニターにはウインドウズ・メディア・プレイヤーによる「ウルルン滞在記」の映像が流れていたのです。ハッキリ言って僕はかなりびっくりしました。だってまさかこんなところでウルルン滞在記を観る事になるなんて夢にも思っていませんでしたから。恐らくは日本人旅行者がこのネット屋を利用した際にファイルをインストールしていったのでしょう。


番組の内容は日本の若い俳優がエチオピアの田舎で「ハマル」という名の少数民族の男になるという主旨のものでした。その俳優は可愛そうにほとんど素っ裸で身体にいろんな液体を塗りたくられたあげくに、死んだヤギにかぶりついてその血をすするとか、もうすさまじいものでした。仕事だから仕方なくやっているんだろうけど、その俳優にはかなり同情してしまいました。そしてひととおり番組を観た後、今度こそ帰ろうとしたのですが、そのときくだんの彼女は僕にこう尋ねました。



(彼女)「あなたもやるの?」

(僕) 「えっ?何だって?」

(彼女)「コレやりにエチオピアに来たんでしょ?」

(僕) 「いや僕はただの旅行者だから・・・」

(彼女)「でもこの日本人はやってるじゃない」

(僕) 「だってこれはテレビ番組だし・・・」

(彼女)「あなたならきっとハマルになれるわよ」

(僕) 「なれるわけねーだろ!」



その後もしつこくハマルになる事を薦められて、小心者の僕は本当に困ってしまいました。そんな僕から日本人旅行者に対して苦情を言わせていただきます。お願いですから現地のパソコンに妙なものをインストールしないで下さい。あなたのしている事はハッキリ言って、




「後から来る人にとって迷惑です!」

ハルツームから日本にいる知人にハガキを送ろうと思い、中央郵便局に行きました。皆さんはあるいは御存知ないかもしれませんが、スーダンというのは観光客が非常に少ない(というか現在ほとんどいない)国でして、そのため首都でさえ土産物屋というものがなく、ポストカードというものを街中で購入するのは非常に困難です。だからといってスーダンからエジプトのポストカードを使って・・・というのではあまりにも悲しすぎます。しかしながら中央郵便局ではポストカードが買えるというので、面倒だけど中央郵便局まで行ってポストカードを購入し、その場で書きあげてしまい、そのまま送ってしまうことにしたのです。


そして実際に中央郵便局に足を運んだところ、情報どうりにポストカードは売っていました。ただし質は最低で、10年前から置いているんではないだろうか?と、疑いたくなってしまうようなシロモノです。しかしここ以外に買える場所は無いのでいろいろと品定めしていたところ、スーダンらしくない風景の写真が印刷されているポストカードを発見しました。美しい山の麓を青い川が流れ、その周りを緑の木々が生い茂るといった風景です。スーダンは砂漠の国というイメージしかなかった僕にとってその写真はとても印象的でした。だから僕は即座に係りのオジサンに


「これスーダンなの?」


 と、尋ねました。するとオジサンは


「もちろんだ。これはダルフールだ。」


 と、答えました。


ダルフール地方・・・現在スーダンで最も危険な地域です。写真で見る限りかなり美しいところのようですがとても行く気にはなれません。そんなことを考えていたらオジサンが


「ダルフールは良い所だ。是非行くべきだ。」


 と、薦めてきます。


「でもデンジャラスでしょ?」


 僕がそう言うと、


「いや、ノープロブレムだ。」


 と、答えます。


「だって内戦やってるじゃん。」


 僕がそう反論すると


「ダルフ-ルの全部が危険というわけじゃない、この写真の場所は安全なんだ。」


 と、答えます。


「いや、絶対ムリ。行ったら死んじゃうよ。」


最後に僕がそう強く主張するとオジサンは


「いや大丈夫だ。むしろ今はハルツームのほうが危険だぞ。」


 と、答えました。


恐るべしハルツームの暴動。現地人にダルフールより危険と言わせるとは・・・。




post


ダルフールの絵葉書をデジカメで撮影してアップしました。

現在スーダンの首都ハルツームに滞在しています。ここまで来るのは本当につらかったです。ヘタな修行よりよっぽどきつかった。エジプトから飛行機を使わない方法を選択したのですが、それについて詳しく書くと時間がいくらあっても足りないので書きません。あと、暴動以外のスーダン情報にもまだ詳しくないので、これもパス。

というわけで、今回は皆様へのお礼とお詫びです。このブログも立ち上げてから10回以上アップしておりますが、いつも見ていただいている皆様には本当に感謝しております。ブログにもかかわらず更新は不定期で、おまけに海外住所不定という都合で更新の頻度も低いから最初は


「ほとんど誰にも読んでもらえないのでは?」


と、不安だったのですが、どうやら今のところはその最悪のケースも免れているようで、ホッと胸をなでおろしているとことです。このまま見放さずに見続けてもらえると、管理人としてはとても嬉しいです。ここまでがお礼です。

次に管理人の対応について。僕がアップする記事に対して皆様にコメントをつけてもらえるのは本当に嬉しいです。カウンターをつけていないので、いったいどれくらいのアクセスがあるのか僕自身にも不明なため、コメントがついているのを発見すると、「ああ、今回の記事も読んでくれた人がいたんだな・・・」というのがわかるので、これはとても貴重です。ただ残念で、そして申し訳ないことに皆様からいただくコメントに対して僕自身が全く返答を書き込んでおりません。これは言い訳がましいですが、日本語使えるパソコンがいつでもみつかるわけではないというのが、大きな理由です。ホームページの更新は持参したパソコンで作成したファイルをアップするだけなので、日本語が使えなくても問題ないのですが、ブログに関してはそれができないので、日本語が入力できないまでも、最低限日本語が読める環境が必要になります。しかし現地のネットカフェではそれすらままならないこともあり、そういう場合はもう「あきらめる」しかありません。あとはお金の節約。ネットカフェは更新作業以外にも、日本と連絡をとったりするために利用したりもするのですが、そういうことをやっていると、お金がどんどんとんでいきます。なので、コメントに対する返答というのはどんどん後回しになり、というかほとんどしていません。これについてはおそらく今後も改善できない可能性が高いです。本当に申し訳ありません。ここまでがお詫び。

ただこれだけは申し上げたいのですが、今まで皆様に書いていただいたコメントは全て読んでいます。そしてこれからも(コメントいただければ)全て読ませていただきます。そんなわけでこれからも「風大陸ブログ」をよろしくお願いします。


P.S スーダン首都ハルツームで起こった暴動について、テレビや新聞ではわからない現地からの声。


「今まで何十年も政府と南部が内戦してきたけど、この対立が原因で首都に争いが起こったことは過去になく、地元の人間でさえも今回のことにはショックを受けている。」


とりあえず現在ハルツームに滞在していますが、商店が襲われたりクルマが焼き討ちされたのを見ると、ものすごくコワイ。警官隊だけでなく軍隊も投入して、街中を戦車が走りまくってます。こちらの最新の情報では既に130人が死んでますが、僕は絶対にその仲間入りはしたくないです。





現在エジプトはアスワンという町に滞在しています。

今回の話題は食事。


アフリカに来てからまだ半月ばかりですが、既に食べ物に飽きてきました。特に肉料理。モロッコにしてもエジプトにしても一応イスラムのようなので豚肉を食べることができません。かといって牛肉は高価なので手が出ず、そうなると鶏肉か羊肉という選択になるのですが、羊肉は日本人にとって馴染みがないせいか、あんまり美味しいとは思えません。そんなわけで肉料理を食べようとすると、ついチキンばかり食べてしまうのですが、安いといえ毎日食べ続けるとさすがに飽きてきてしまいます。ああ、豚肉食べたい・・・。

しかし願ったところで豚肉が手に入るわけではないので、何とかチキン以外の安くて美味しい肉を捜してみることにチャレンジしてみました。とはいえ、僕のように洗練された舌を持つ美食家にとって、これは簡単なことではありません。肉なら何でもいいというわけにはいかないのです。まず第一にゲテモノは絶対ダメです。
私のような高級バックパッカーにそんなモノが食べられるはずがありません。第二に愛玩用の動物もダメです。エジプトでは平気でウサギとかラクダ食べちゃうんですけど、僕にはそういう原始人のようなことはできません。バックパッカー界随一の美食家である前に、熱烈な動物愛護家でもある僕にはかわいそうでとても食べることができません。彼等はあくまでペットであり、あるときには家族であり、決して食用ではないのです

ですから肉探しには大変苦労しました。しかしそのかいあって何とか僕はチキンに代わる肉料理をさがしあてる事に成功しました。そしてとても美味しく食べることができました。せっかくなので皆様にもその料理を写真でご覧いただきたいと思います。ちなみにこの肉料理は現地で「ハマーム・マフシー」と呼ばれているそうで、エジプト人の好物ということです。エジプト料理のなかにも僕のようなゲテモノ嫌いの美食家に合う肉料理があったんですね。






これがハマーム・マフシーです。
















この写真では皆様には少しわかりにくいかもしれないので、よければ調理前の写真もご覧下さい。









これがハマーム・マフシーの調理前の写真です。
















ハマーム・マフシーの日本語訳は失念してしまいましたが、何でも日本では「平和の象徴」とかなんとか呼ばれているそうです。ウワサでは歌手の新沼謙二さんも、ある意味「大好き」だそうです・・・。

現在エジプトの首都カイロに滞在中です。数日前にモロッコから飛行機で飛んできました。

さて今回の話題は「国籍」について。このブログをご覧の皆様の中には海外旅行経験のある方も多いと思います。そんな皆様にお伺いしたいのですが、


海外で「中国人」に間違えられた事ってありませんか?


ありますよね?自慢じゃありませんが(本当に自慢にならないけど)僕なんて中国人に間違えられた事なんてもう数え切れないくらいあります。韓国人に間違われた事もあれば、イランにいたときにはアフガニスタン人に間違われたことだってあります。

サラリーマン時代の短い旅のときは、日本人と見てもらえなかったことが驚きで、そういう間違いをけっこう面白がっていました。しかしながら前回のユーラシア横断のときは、この間違いが何度も続くことがあって、苦痛に感じることもあり、正直怒ってしまったこともありました。時に彼等が「中国人か?」と訊いてくる場合、明らかにからかいの感情が含まれていることがあり、そういう時には激怒して言い返したことさえありました。



しかし今回は違います。なにしろ前回の旅から既に2年も経過しています。そのぶん僕もより成熟した大人になり、些細な事くらいで怒らないようになりました。だいたい中国人に間違われたくらいでいちいち怒っていたら、長旅なんてできやしませんよ。


先日もこんなことがありました。場所はカイロのとあるスーパーマーケットで、滞在している宿から近いので何度か利用しているのですが、そこで買い物をしていたときにもやはり日本人と見られませんでした。レジで会計をする際に店員の若い女性から話しかけられたのですが、やっぱり中国人に間違われてしまったのです。





店員 「中国人ですか?」


私  「違いますよ。」




もちろん、私は怒りませんでした。もう慣れっこですからね。そして僕が彼女の過ちを正すために「自分は日本人である」と、彼女に伝えようとしたのですが、その前に彼女がもう一度尋ねてきました。






店員 「じゃあ・・・、リビア人ですか?」



私  「・・・・・・・・・・・・・・」





えー、ハナシを最初に戻します。




海外で「リビア人」に間違われたことってありませんか?



ありますよね?・・・・・お願いだから、「ある」って言ってください・・・・





* リビアはエジプトの隣にある国です

神様・・・旅の神様・・・



お許し下さい。私はバックパッカーとして、してはならないことをしてしまいました。もちろん、私は自分の犯した罪から逃れようなどとは思っておりません。だからこそ、私は今こうして神の御前で全てを打ち明けるのです。なにとぞ、この憐れな子羊に寛容なお裁きを・・・


私がモロッコという国を訪れたのは、メルズーガで砂漠を見るためでも、マラケシュのスークで買物をするためでも、フェズのメディナを徘徊するためでもありませんでした。私はただ「カサブランカ」という街にあこがれて、この国へとやって来ました。

神様は「カサブランカ」という映画を御存知でしょうか?はるかな昔、名優ハンフリー・ボガードと美しいイングリッド・バーグマンが決して成就しない悲しい恋を繰り広げた映画で、シネマ・ファンでこの映画を知らない者はないという、名作中の名作です。もちろん私はこの映画をリアルタイムで観たことはありません。ビデオだけです。ですが初めてこの白黒映画を観たとき、わたしはすぐにこの映画の虜になってしまいました。特にボガードとバーグマンの間で囁かれる洒落た会話・・・




バーグマン 「昨日はどこへ行ってたの?」


ボガード  「そんな昔のことは忘れた。」


バーグマン 「明日はどこへ行くつもりなの?」


ボガード  「そんな先のことはわからない。」



素敵だ・・・。本当に素敵すぎる・・・。「AS TIME GOES BY」(時の過ぎ行くままに
がピアノの弾き語りで流れるバーで、交わされる男と女の駆け引き・・・

その映画を観て以来、とにかく私は「カサブランカ」に憧れました。そして誓いました。


いつの日か必ずモロッコに行こう」と、・・・。

このようにして、私はモロッコにやってきました。もちろんカサブランカで私の来訪を待っているに違いない、美しいバーグマンと出会うためです。ただそれだけの為に、私はやってきたのです・・・。





カサブランカに到着すると、私はすぐに行動に移りました。御存知のようにモロッコはイスラムの国です。ですがここはかなりユルイ国なので、探せばアルコールを飲酒できる店はあります。特に私はロンリープラネットという貧乏西洋人旅行者を対象にしたガイドブックを持ってきているので、安く飲める店を発見するのはそれほど難しい事ではありません。私はガイドブックに掲載されている数々の店の中から、慎重に一軒の店を選びました。



「Au Petit Poucet」

これが店の名前です。フランス語なので名前の意味はよくわかりませんが、なかなかオシャレそうな感じがします。ガイドブックの記述によれば「ナントカいう1920年代のフランス人作家が多くの時間をここで費やした」とあります。また同時に「安く飲める」とも書いてあります。私は早速この店へと足を運び、店のドアを開けました。

・・・・・10分後・・・・・入店してからわずか10分で私はこの店を出てしまいました。なぜかというと店は大変混雑しているうえに、なんだか珍妙なモロッコ音楽が流れていてとても静かにグラスを傾ける雰囲気ではなかったからです。客層は庶民ばかりで、おまけにそいつらメチャクチャ酔っ払っていて、赤ら顔で大騒ぎしています。バーグマンなんてどこにもいやしません。ハンバーグみたいな顔したオッサンがいるだけです。

・・・どうやらこの店は日本で言うところの居酒屋のようなところだったようです。そんな店が私のようなボガード風の男に似合うはずがありません。私は別の店を探すことにしました。


「La Bodega」

ここが私が選んだ2軒目の店です。ガイドブックによれば「高いけど生演奏が聴ける店」と、あります。店に足を踏み入れると、私の耳にはすぐに演奏の音が入ってきました。
「おっ、アズ・タイム・ゴーズ・バイ(時の過ぎ行くままに)か?」
私は席に着き、耳を澄ませました。しかしながらなんだか賑やかな演奏です。そしてスペインからやってきた私は気づきました。



「スペイン・ルンバだ・・・」



どうやらここはスペイン系の店のようです。店を見渡せば客は外国人ばかりで、それは私の望むところだったのですが、シブイ男女が出会う場所にしてはいささかうるさすぎます。オマケにテレビで闘牛のビデオとか流していて、情緒も何もあったものじゃありません。

それでも私は我慢して、カウンターでチビチビと酒を飲んでいました。こうしてシブく飲んでいれば、きっとバーグマンが声をかけてくるに違いない。そう信じて・・・。そして30分後、初めて私は他の客から声をかけられました。これだ!私はこの瞬間を待っていたんだ!

私はボガードを気取りつつ、ゆっくりと後ろを振り返りました。しかしそこにいたのはバーグマンではなく、何故だか若い男でした。そして怪訝な表情をしている私に向かい、男はこう言いました・・・


「チノワ?(中国人か?)」


・・・私はすぐに支払いを済ませて店を出ました。全く訳がわかりません。どうして私のようなハンフリー・ボガードを捕まえて「中国人か?」などと言うのでしょう?きっと飲みすぎて目が腐ってしまったのでしょう。

店を出た私は途方に暮れました。いったい私のイングリット・バーグマンはどこにいるのだろうか?ひょっとしたら私の前に現れてはくれないのではないか?ふと、そんな疑問が頭をよぎります。いや、こんなことぐらいであきらめてはイケナイ。ここであきらめてはわざわざモロッコまでやって来た意味が無い。「オマエはボガードだろう?」私はそう、自分を奮い立たせました。

そもそもガイドブックに頼ったのが間違いだった。だいたいバックパッカー向けの店なんて貧乏くさいところばかりだ。ここで初めて私は自分の力で、店を探すことにしました。今までのような店とは違う、もっとシックで静かでピアノの弾き語りが流れる場所・・・・





ホテルのバーしかない!





私は勝負に出ることにしました。私は日本でもホテルのバーで飲んだことはありません。だから値段の見当が全くつきません。ひょっとしたら散財してしまって旅が短くなってしまうような事態も考えられます。しかしやるしかありません。




「男には一生に一度、命を賭けても戦わなければならない時がある・・・」




と、かのキャプテン・ハーロックも言っていたではないか。そうだ、私は何だってやるぞ、バーグマンと出会うためなら・・・。

それから私はひとり夜のカサブランカを歩き、宿泊客ではないけれど、バーに入らせてくれる高級ホテルをみつけました。

そのホテルのバーはまさしく私が想像していたとおりのバーでした。シックな照明に、正装したウエイター。そして弾き語り・・・・雰囲気もすごく静かでした。ただ少しばかり静か過ぎました。なぜなら客が一人もいなかったからです。しかし夜は長い。焦る必要はない。

私はカウンターのストゥールに腰掛け、バーグマンが現れるのを待ち続けました。




30分後

私以外の客、いまだ現れず。仕方なく2杯目を注文する。




1時間後

私以外の客、いまだ現れず。仕方なく食事を注文する。







2時間後

私以外の客、いまだ現れず。仕方なく店を出る





本日の出費


1軒目 ビール1杯      12ディラハム
2軒目 ビール1杯・お通し  40ディラハム
3軒目 ビール2杯・夕食  115ディラハム



合計金額 167ディラハム(約2200円



この日の夜に使った食事代、2200円・・・・・・
バックパッカーが1食の為に2200円・・・・・・
1泊600円の宿に滞在しているのに・・・・・・・


しかもイングリット・バーグマンにも出会えず・・・




神様、こんな私になにとぞ神の慈悲を・・・・・・・









オシャレなホテルのバー

今モロッコにいるのですが、どうして僕がモロッコにいるか皆さん御存知ですか?
えっ?それはオマエがアフリカ目指してきたからだろって?ええ、まあそうなんですけど、
でも実を言うとモロッコは旅のスタート地点ではないのです。スタート地点は僕が次に行く国
なんです。(まだナイショですけど・・・)

それならば何故モロッコに来たのか?仕方ない、お答えしましょう。

皆さん、「シティハンター」っていう漫画知ってます?
以前、週間少年ジャンプで連載されていて、テレビアニメにもなったんですけど・・・
えっ? 私は平成生まれなので、そんな昔の漫画知らない?







そういう方は他所のブログに行っていただいてけっこうです。(嘘ですよ!嘘!)







まあ冗談はさておき、まあこのシティハンターの主人公というのが
裏の世界の私立探偵で、天才的な銃の使い手で、まあようするにメチャクチャ強いんです。
でもひとつだけ弱点があって、それがどんな弱点かというと、なんと「無類のオンナ好き」。
人生の楽しみはオンナしかないと言わんばかりの、まさに男の本能丸出しで生きてるような奴なのです。
でもその主人公、普段はすごく強いんですけど、あるとき敵の催眠術師のワナにはまってしまった
ことがあって、そのときなんと「勃起しなくなる」という珍妙な暗示をかけられてしまうのです。
で、それで主人公はどうなったのかというと、まあ前述したようなタイプの男ですから、
それはひどく落ち込みました。「勃起しなくなる」というのは、その主人公にとっては
生きがいを奪われたも同然だったのです。以下がそのときの主人公のセリフです。







「男として勃起できないくらいなら、いっそモロッコに行って手術して女になる!」






僕の記憶に間違いがなければ、確かこんな感じのセリフだったと思います。それで、えーと、・・・あれ?今回の記事の話題って何でしたっけ?あっ、そうそう、僕がモロッコに来た理由でしたね、そうなんです。実は僕も手術して女性にな・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・






すみません、嘘です。ゴメンナサイ!

そんな理由じゃないです、冗談です!!

お願いだから信じないで下さい!!!!






P.S 管理人はEDではありません。


遂にアフリカです。スペインからフェリーでモロッコにやってきました。さて、今回の話題はモロッコ情報はとりあえず置いといて(このブログいつになったらアフリカのハナシするんだろう・・・)、前回好評だった(?)オランダ情報の続きです。もちろんタイトルのとおり、「赤線地帯」(地元ではレッドライトと言います)の話題。ドラッグとともにオランダでは合法の売春、それは「飾り窓地区」と呼ばれる場所で、昼夜を問わず行われています。僕は昼と夜両方行きましたが(2回も行くな)、やはり夜のほうが賑わってます。冷やかしの観光客から本来の目的である女買いの客まで、すごい人ごみです。最初はすごく陰惨な場所をイメージしていたのですが、「セックスショップ」(エッチなビデオやSEX行為に使用する様々な器具を販売する店)のネオンや「セックスショー」(本番行為を目の前で鑑賞しながら酒を飲んだりする)の客引きがすさまじく、まさに「夜の繁華街」というようなアッケラカンとした雰囲気に、少々カルチャーショックを受けてしまいました。

さて皆さんもご存知のように、僕はそういったことに「全く関心が無い」ので、ただ地区をプラプラと歩いていただけなのですが、それでも窓を見ていると、ついつい中にいる女の子達にみとれてしまます。(説明が遅れましたが、「飾り窓」というのは通りに面して赤い灯り(レッドライト)に照らされたガラス張りの窓がある個室の中で、下着姿の女性が自分の容姿を通りを歩く男達にアピールしているところです。男達は気に入った女性を見つけたら、窓を開けて女性と交渉し、成立した場合にはその個室で「御休憩」することになります。その際、窓にはカーテンがかけられ、外からは見えなくなります。)白人・黒人・東洋人までよりどりみどり、セクシーポーズでこちらを誘ってきます。ただ僕はとても小心な人間なので、窓の中にいる女性から笑顔を送られても




「ゴメンよ。君はとてもチャーミングだけど、僕は愛の無いセックスは嫌いなんだ。」




風の微笑みを返すのが精一杯です。なにしろ僕は女の子の下着姿を見ただけで赤面してしまう「シャイで純粋な少年のような心を持った男」なので、彼女達と言葉を交わす事さえできないのです。


でもとりあえず、ブログ読者のために記事は書かなくちゃいけないので、仕方なくその後も地区を歩き続けました。すると程なくして一人の女性が僕の眼にとまりました。透き通るような白い肌、光り輝くブロンドのロングヘアーに、抜群のスタイル、そしてつぶらな瞳で僕にウインク」してくるその笑顔・・・




「ガチャ!」





ん? ガチャ? ガチャって、何の音だろう?





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





「オイ! 窓開いちゃってるよ! 誰が開けたんだよ! って、俺自分で開けちゃってるよ!!」





そして窓から彼女が出てきて




「ハーイ!」




やばい、何か答えないとイケナイ。というかここは落ち着いて、まず謝って、そして断るんだ。えーと、





「1回いくらですか?」





オイ、自分! どうして料金訊いてんだよ! 断るんじゃねえのか! いいか、お前はシャイで純粋な・・・






「全部込みで50ドルよ。ただし20分で終わらせてね。」






そうですか。50ドルですか・・・えっ? 50ドル?・・・





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





「5000円以上もするじゃねえか!お前、俺が泊まってるユースが1泊いくらだか知ってるのか!(せめて500円にしてくれ)」





もちろん、僕は彼女を買っていません。それはあくまで僕が「少年のように純粋な心を持った男」だからであり、決して



節約の為」とか、「トラベラーズチェックが使えなかったから」とか、



そういった理由で買わなかったのではないということを、皆さん勘違いしなよう、心よりお願い申し上げます。








今、イギリスにいます。えっ?前回やっとアフリカ近づいたのに、やっぱり逃げ出したのかって?いえいえ、違います。前回よりも更にアフリカに近づいています。皆さんご存知ですか?イギリスはヨーロッパ最南端、すごくアフリカに近い国なのです。何です?嘘つくなですって?もう、どうして信用してくれないんですかねえ・・・じゃあ教えて差し上げましょう、皆さん、まず世界地図を広げてください。それからスペインの南端を見てください。



「ジブラルタル」



という地域がありませんか?僕は今そこにいるのです。ジブラルタルはれっきとしたイギリス領です。ジブラルタルはスペイン継承戦争の際にイギリス軍に占領され、1713年のユトレヒト条約で正式にイギリス領になって以来、ずっとイギリスの統治が続いているのです。もちろんスペインは昔からジブラルタルの返還を要求していましたが、イギリスがそれを拒むというかたちで、ジブラルタルはもう300年近くも「植民地」という状態が続いているのです。
しかしながら最近は事情も変わってきました。EUの発足です。EUというのはもちろんヨーロッパを「単一国家」と考えていこうとしているわけですが、ここにひとつ問題がありました。イギリスもスペインもEU加盟国です。いうなれば同じ国です。



「同じ国なのにどうして植民地なんてものが存在するのか?」



という問題です。なるほど確かにそうです。それでイギリスもさすがにマズイと思ったのか



「これからはジブラルタルをイギリスとスペインで”共同統治”しましょう」



ということになりました。なるほど”共同統治”なら「植民地」とは呼べないですね。まさにグッドアイデア。すぐさま両政府の間でこの案は実行に移されました。そして最後の段階、ジブラルタルで住民投票にかけたところ、



「住民が植民地のままでいることを選択した」



まあ、なんてことでしょう。本当にビックリです。そんなわけで「ヨーロッパ最後の植民地」という、あんまりカッコよくないあだ名を持つこの地域は、当分この状態が続きそうです・・・。

とまあ、そんなわけで今イギリスに滞在しています。植民地といえども言葉は英語、通貨はポンド、バスはダブルデッカー、物価は高いと、スペインとは何もかもかけはなれています。特に物価高はバックパッカーにとってあんまりよろしくないので、ここはすぐに「出国」するつもりです。もうすぐ、そして今度こそアフリカです。(なんだか行きたくなくなってきたけど・・・。)