宗教(タンザニア編) | アフリカ大陸リアルタイム旅日記

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アフリカ大陸を彷徨うバックパッカーが、旅の様子をリアルタイムに報告します。

海外を長く旅していると、現地の人からしばしば

「あなたの宗教は何ですか?」

 と、訊かれる事がある。そんなとき僕はたいてい

「仏教徒です」

 と、答えるようにしている。ちなみに以前ユーラシアを旅しているときは、最初の頃は正直に

「特に神は信じていません」

と、答えていたんだけど、この無神論的な回答は時々面倒な議論を引き起こしたこともあり、やっぱり何かを信じていないと現地の人は納得しないようなので、仕方なく途中からは



「I believe in only myself.(フッ、俺が信じているのは自分だけだぜ。)」



 と、ハンフリー・ボガードばりのダンディーな答え方に変えたんだけど、これをやると何故か皆が遠い目で僕を見るようになってしまったり、またあまり強く自分を信じすぎると、そのうち自分で何か新しい宗教を(バックパッカー教とか)創始してしまいそうな危険な兆候も出てきたので、それ以来は無難に「仏教徒です」と、答えるようにして現在に至っている。ちなみにこの「仏教徒です」という答え方は非常に便利だ。この答え方のおかげで面倒な議論や勧誘もめっきり減ったし、それどころか最近では




「あなたは仏教徒ですか。なるほど確かに仏様のような表情をしておられる。」



 とか、


「仏教徒になれば、あなた様のような清々しいお顔を持つ事ができるのですか?」



 などと言われることも多く、僕が旅を終える頃にはアフリカ人の半分くらいは仏教徒になってしまうのではないかと思うくらいだ。

でもこれは当然のなりゆきなのかもしれない。自分で自分を分析してみれば、確かに自分は仏の生まれ変わりではないかと思えてくる。なにしろ性格は温厚、表情は柔和、生まれてこのかた一度も本気で怒った事も、声を荒げた事も無い。また我をなくして号泣してしまったというようなこともなく、ようするにいつも冷静で、まるで「悟りを開いた」かのように見えることもある。そんな僕だからアフリカ人が僕を見て仏陀と見間違えたとしても、それは仕方の無いことなのだろう。

先日もそのような僕の性格を端的に現すような出来事が、タンザニアの田舎町であった。良い機会なので今回の記事はその出来事について書いてみて、僕の性格がいかに仏様のようであるのかを、読者の皆様に知ってもらえたらいいなと思う。



ルワンダ滞在を終えることにした僕の次の行き先はタンザニアだった。そのため僕はルワンダの首都キガリからタンザニアと国境を接するルスモという街へ向かうことにした。ルスモまでの道中、そしてルワンダからタンザニアへと国境を越えるのは全く問題無かった。なにしろ事前にルスモまでの交通機関、そして出入国管理、税関といった「国境越え」に必要な情報は全てガイドブックで調べておいたからだ。自分でも言うのもなんだが、僕はいつもすばらしい準備をする。もしこれが素人バックパッカーだったら、どうやって国境を越えたらよいのかわからなかったり、また場合によっては情報不足で咄嗟の時に慌ててしまったりすることもあるのだが、僕の場合はいつも完全な準備の上に国境を越えているので、無用なトラブルに見舞われたことは無い。自慢するわけではないが、僕だって伊達に「スーパーバックパッカー」と呼ばれているわけじゃない。無事に国境越えるぐらい、もう朝飯前のことである。

まあ、そんな感じでスムーズに国境越えを果たした僕は、先へと進むことにした。国境のタンザニア側はルワンダ側と同じくルスモという名の街であり、国境の街という性格上、安宿などはあるのだが、見るべきスポットは何も無い。僕ぐらいの高レベルのバックパッカーになると、街を一目見ただけで「その街に宿泊すべきかどうか」を判別できるようになるのだが、ルスモという街は残念ながら宿泊するに値しない街だった。

これが素人バックパッカーの場合だと初めての街でつい、「何か見所があるんじゃないだろうか」という思いが頭をよぎってしまい、やがてそれが「とりあえず1泊してみようか」ということになり、そして実際に宿泊した結果、「やっぱり何にも無かった」という、宿代と時間の両方を無駄にするということが多々あるのだが、僕の場合はスーパーバックパッカーなので大丈夫である。

そんなわけで僕はさっさとルスモを後にすることにした。そしてそのためは国境からの移動手段を確保する必要がある。実はすばらしいことに、国境を越えてからその先どうすればよいのかも、僕は事前にガイドブックで調べておいたのだ。行き当たりばったりの国境越えだと時間をロスしてしまうところであるが、僕の場合は、そんなヘマはしない。ちなみにガイドブックによれば、

まず国境から乗合タクシーで「ベコマ(BEKOMA)」という街へ行く。ベコマ自体はルスモと同様に何も無い街なので、そこでもう一度乗合タクシーを捕まえて、更にその先にある「ンゴロ(NGORO)」という街へ行く。ンゴロはわりに大きな街で、ルスモやベコマと違って長距離バスのターミナルがあって、タンザニアの主要都市へのバスが出ている。だから今日はンゴロまで行って、そこで宿泊するのがベストである。

国境のタンザニア側にはちょうど一台の乗合タクシーが停まっていたので、僕はドライバーに声をかけた。

「このタクシーはどこへ行くのですか?」

「ベナコ(BENACCO)だけど、乗るのかい?」


残念ながら僕が行きたい「ベコマ」行きのタクシーではなかった。だから僕は断って、タクシーを見送った。ベコマ行きのタクシーは、今はいないようだ。でも大丈夫、国境でモタモタやっていたら、時間が足りなかったかもしれないが、幸い準備がよかったおかげで、まだ時間は十分にある。慌てたり焦ったりする必要はない。

そしてそれから1時間ほど待っただろうか、再び1台のタクシーが停まったので、僕はまたドライバーに声をかけた。

「このタクシーはどこへ行くのですか?」

「ベナコ(BENACCO)だけど、乗るのかい?」

どうやらこのタクシーもベコマへは行かないらしい。僕は断って再度ベコマ行きのタクシーが現れるのを待つことにした。なんといってもここはアフリカである。日本のように交通機関が発達しているわけではない。少しくらい待つのはよくあることだ。

そしてその後また1時間くらい待っただろうか。3度目のタクシーが僕の前に現れた。きっと今度こそベコマ行きのタクシーだろう。僕はドライバーに声をかけた。

「このタクシーはどこへ行くのですか?」

「ベナコ(BENACCO)だけど、乗るのかい?」

「・・・ベナコじゃなくて、ベコマに行きたいんですけど、ベコマ行きのタクシーはいつ来るのかわかりますか?」

「ベコマ?それいったいどこのことだい?」

「どこって、隣町のベコマですよ。」

「ああ、それならベコマじゃなくてベナコのことだよ。さあもう出発するから、早く乗んな。」



・・・なんということだろう。僕が行きたかった街は、ベコマじゃなくてベナコだったのか。どうやらガイドブックの記述が間違っていたようだ。おかげでタクシーを2本も逃がしてしまった。あと時間もロスしてしまった。とりあえず僕はすぐさまドライバーに従って、彼のタクシーでベコマ・・・じゃなかった、ベナコまで行くことにした。

ベナコまでの道中、タクシ-の中で今回の失敗について考えていた。今回の失敗はあきらかに僕のせいではない。それはハッキリしている。だってガイドブックの記述が間違っていたのだから。でも、それがどうしったていうのだ。別にたいしたことじゃないじゃないか。完璧なガイドブックなんてどこにも存在しない。そもそもガイドブックを製作しているのは人間であり、人間の仕事である以上、たまには間違いだってあるだろう。僕は別にガイドブックを、ましてや出版社を責めたりなんてしない。なにしろ僕は、生まれてこのかた一度も他人を責めたことが無いのだ。仏陀のように優しい僕の性格が、他人を責めるという行為を許さないのである。


ベナコに到着したとき、時刻は既に夕方だった。国境で2時間をロスしたのは予定外だったが、まだ大丈夫。許容範囲内である。ここでスムーズで乗り換えができれば、十分に帳尻を合わせられるはずだ。だから僕はすぐにンゴロ行きのタクシーをさがすことにした。そして運が良いことに僕はすぐに1台のタクシーを見つけることができた。タクシーはほぼ満員の状態で、今にも出発しそうな状況だった。僕はすかさずドライバーに声をかけた。


「このタクシーはンゴロへ行きますか?」

「ンゴロ?」

「はい。」

「いや、ンゴロには行かない。だがンガラ(NGARA)なら行くぞ。」

「そうですか・・・。それでは結構です。」



すぐにタクシーが見つかって運が良かったと思ったが、残念ながらンゴロ行きではなかったので、僕は断った。少しばかり急いでいるとはいっても、まさか違う行き先のクルマに乗るわけにはいかない。仕方なく僕は次のタクシーを待つことにした。

実は正直に言うとこのとき、つまり次のタクシーを待っている間のことだが、僕は少し焦っていたかもしれない。でもその焦りは表情に出るほどまでは至っていなかった。なにしろ僕は仏様なみの性格である。この程度のことで表情を崩すわけがない。何故なら時刻は夕方と言っても完全に日が落ちたわけじゃないし、恐らく次のタクシーに乗ることさえできれば、それほど遅くない時間にンゴロに辿り着けるはずである。だから僕はしっかりとセルフ・コントロールしてタクシーを待っていた。これが普通のバックパッカーなら、とっくにキレてしまっているところだろうが、僕の場合は大丈夫だ。だって僕は仏様のような性格で、しかもスーパー・バックパッカーじゃないか。





そして・・・・・  





次のタクシーがやってきたのは・・・・・





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・






なんと2時間後であった。僕が声をかけるよりも先にドライバーのほうが僕に声をかけてきた。




「ンガラへ行くのかい?」

「・・・ンガラ? いえ、ンガラじゃなくてンゴロに行きたいんです。」


「ンゴロ?」

「ええ、そうです。」

「ンゴロなんて街は聞いたことが無いな。他の街と間違えているんじゃないのか?」

「えっ?他の街?」

「ああ、例えばンガラとか。」



ん? なんだろうこの感覚は? なんだか前にも同じような事がなかったか? デ・ジャヴとかいうやつか?なんだか嫌な予感もするが、僕はドライバーにおそるおそる尋ねてみた。




「ンガラって大きな街ですか?まさかバスターミナルとかあったりします?」



「ああ、もちろんだ。ンガラは大きな街だから何でもある。宿も銀行も、もちろん長距離バスのターミナルだってある。ンガラからならどこへでも行けるぞ。」





・・・そのとき、僕は自分でも知らないうちにガイドブックを地面に叩きつけていた。もうほとんど半狂乱に近い状態で、表情はと言えばどう見ても「仏様」というよりは「大黒天」に近かった。もしそこに誰もいなかったら、持っていたライターでガイドブックを燃やしていたかもしれない。そしてそんな鬼神のような表情の僕に対して、ドライバーが問い掛けてきた。



「おい! いったいどうしたんだ!? 何をそんなに怒っているんだ?」



ドライバーに対し、僕はこう答えた。



「・・・僕を今すぐンガラに連れて行ってください!」




ンガラに到着したとき、日は既に暮れ、というかもう真夜中だった。僕は街の中心でタクシーから降ろしてもらったのだが、街灯も無く真っ暗で、全く地理がわからない。というのもンガラは大きな街だが、それは「地方にしては大きな街」という意味であり、ガイドブックには街の地図すら掲載されていない。そんな街だから当然どこに宿があるなんて情報も全く無く、僕はもう泣きそうだった。初めての国で入国初日、真夜中の街を大荷物背負って一人で歩かなきゃならないなんてもう最悪である。もしここがナイロビだったら今ごろとっくに身包みはがされている。下手をすれば命だってなくしてるかもしれない。ンガラはどうやら田舎のぶんだけ治安はよさそうだけど、でも田舎のぶんだけ人通りも少ない。

僕は右も左もわからない状態で、とにかく闇雲に歩いた。いったいどれくらい歩いたのか気が動転していて全く覚えてないのだが、やがてなんとか通行人を一人見つけることができた。僕は思わずその人に駆け寄り、

「この近くに宿は無いでしょうか?」

と、もうほとんど半泣きの表情で尋ねた。ひょっとしたら鼻もたらしていたかもしれない。ヘナチョコなガイドブックのせいで仏様のような表情が台無しである。

それからその通行人はオジサンだったんだけど、カタコトのスワヒリ語しか話せなくて、おまけに半ベソかいてる外国人の僕に対して、宿の場所を教えてくれるどころか、わざわざ宿まで連れて行ってくれた。宿に着いたときにコミッションをくれとも言われなかった。もしここがエジプトだったら絶対にいくらか払わされているところだ。とにかくすごく親切だった。ハッキリ言ってそのオジサンが仏様に見えた・・・。



記事の冒頭でも述べたように、僕の影響からアフリカ中に仏教が広まるのは間違いないだろう。恐らく間違いないだろう。多分間違いないだろう・・・。でも・・・・・

でも、ひょっとしたらタンザニアだけは仏教が広まる事は無いかもしれない。しかしながら、例えそうなったとしてもそれはみんなヘナチョコなガイドブックの間違いのせいであり、決して僕のせいではないことをハッキリとここに明記して今回の記事をしめくくりたい。