本当のウルルン(エチオピア編) | アフリカ大陸リアルタイム旅日記

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アフリカ大陸を彷徨うバックパッカーが、旅の様子をリアルタイムに報告します。

以前エチオピア北部バハルダールのネット屋でウルルン滞在記を見せられて大変迷惑したというハナシを書きましたが、実は今回の話題はその続きです。ただ今回はいつものふざけた記事ではなく、真面目にウルルンというものを検証しようという、極めて真摯な内容ですので、もしそういう真面目な話題が苦手という読者がいらっしゃいましたら、今回の記事は読んでいただかなくても結構です。ブログというのは人に読んでもらってはじめて成り立つものなのに、筆者がそういうことを言うのは大変生意気だというのは重々承知してはおりますが、仕方ありません。読者の貴重な時間を無駄にしないためにも、あえてあらかじめ書かせていただきました。


さて、ウルルン滞在記というのは皆さんも御存知のように、日本のテレビ番組です。若い芸能人が海外に出向いて行って、その地方の風習に馴染むとか、独自の文化を習得するとか、以前紹介したように現地人になりきるとかいったような主旨の番組です。この番組が多くの視聴者の感動を呼ぶのには沢山の理由があるかと思いますが、僕としては何故感動してしまうのかということについては大きく分けて二つのポイントがあると考えています。


1、主人公が苦労する


  日本人は苦労話が大好きです。何もわからない異国でたった一人で現地に溶け込もうとする姿が日本人の持つ情に訴えるのではないでしょうか。


2、悲しい別れ


  大抵の場合主役の俳優は現地家庭にホームステイしています。しかしそれは永遠ではありません。いつかは別れの時がやってきます。ただ短い期間とはいえ寝食を共にすればそれはもう家族も同然です。そういった家族と別れるというのはやはり悲しいものです。番組の終わりで感極まって涙している光景を映像で観てもらい泣きした方もおられるのではないでしょうか。


以上の二点が感動のポイントだと僕は考えています。僕と同じような意見の読者はきっとおられると思います。ただもちろん「そんな理由じゃないよ」という意見の方もいらっしゃるでしょう。それはそれで構いません。皆が同じ考えである必要などありませんし。

また人によっては、これは特にバックパッカーに多いのですが、番組そのものを否定する人もいます。こういう人達の意見は多くの場合




「どうせガイドとか旅行会社を通してんだろ?」

「テレビ局が大金払ってるのに何がウルルンだよ」

「あの涙だって演技なんじゃないの?」

「しょせんヤラセじゃねーか」




といったような感じです。僕はこういう意見にも一定の理解を示すことができます。僕自身バックパッカーである以上、他のバックパッカーと同様に今までに何度も現地の方達と触れ合ってきました。そういった経験を繰り返していると、あの番組がなんだか大げさでわざとらしく思えてくる時もあるのです。

ようするに、


「あんなのは本当のウルルンじゃない」


という考え方を心の中から排除することができないわけです。

では本当のウルルンとはいったい何なのでしょうか?

このブログの読者にはおそらくバックパッカー経験の無い方も沢山おられるでしょう。そういった方々のために、僕が実際に目にした「本当のウルルン」をここで紹介したいと思います。実はつい数日前、僕はそれを見たばかりなのです。




現在僕はエチオピアの首都アジスアベバに滞在しています。泊まっているホテルは安宿ではありますが、ガイドブックに掲載されていることもあって、日本人のバックパッカーもよく利用するところです。ここはエチオピアの一般的な宿と同様、レストランとバーが併設されていてなかなか便利なのですが、このレストランで働くエチオピア人のなかに、「マルタ」という名の若い女の子がいます。ひょっとしたら皆さんはこのマルタという名前に違和感があるかもしれませんが、エチオピアはキリスト教国なので、生まれてくる子供にしばしばクリスチャン・ネームを与えます。ですからこのマルタという名前も特別珍しいわけではありません。

僕はこのマルタと仲が良く、ヒマなときはレストランでコーヒーをすすりながら他愛も無い会話をしているのですが、先日このマルタが笑顔でこんなことを言ったのです。


「私ね、自分の名前を日本語で書けるんだよ。」


どういうことか詳しい説明をマルタに求めたところ、何でも以前ここに宿泊した日本人旅行者が、やはりマルタと仲良くなって、そのときに日本語での名前の書き方を彼女に教えたのだそうです。僕は彼女の説明を聞いたとき、なんだかすごく幸せな気持ちになりました。ささいな事かもしれませんが、こういうのが本当の人間同士の付き合いなのではないでしょうか?何もヤギの血をすするばかりが人との交流ではありません。お金やガイドを使わなくたって、お互いの身の上話を打ち明けたり、挨拶の仕方を教えあったり、小さな事でも心さえ触れ合う事ができれば、それこそが「本当のウルルン」なのではないでしょうか。

エチオピア北部を陸路で旅行するのは大変ハードでした。アジスアベバに辿り着いた時の僕はもう身も心も疲れきっていたのですが、彼女のハナシを聞いたら、なんだかその疲れさえも吹き飛んでしまうような気がしました。


そして僕はこの幸せな時間をもっと楽しみたくて、マルタにこう頼んでみたのです。


「すごいね。日本語で書けるんだ。ちょっと書いて見せてくれるかい?」


僕がそう言って紙とペンを渡すと、彼女は


「もちろん、いいわよ。」


と言ってペンを取り、おもむろに自分の名前を日本語で、こう書きました。↓

































「丸太」











・・・・・・・・・・・・・・・



丸太・・・・・マルタ・・・・・









いや、確かに間違ってはいない。もしマルタを日本語で書こうとしたら「丸太」というのはひとつの選択肢ではある。でも、でも・・・








それが女の子につける名前ですか?

ちょっとヒドくない?

ひらがなで「まるた」でいいんじゃないですか?

いや別にカタカナで「マルタ」でもいいよ。

よりにもよってどうして漢字で「丸太」なんだよ・・・

そんなウルルンいらねえよ・・・たとえヤラセじゃなくても・・・






以上、エチオピアの首都アジスアベバで目にした「本当のウルルン」についての報告でした。テレビ番組同様に涙していただけたなら、報告者としてはこれに勝る喜びはありません。