ついに日本へ帰るチケットを購入した。昨年の6月に日本を出て以来、およそ9ヶ月。最初の約1ヶ月はヨーロッパとモロッコ・エジプトだったので楽勝だったけど、エジプト出国の難民船としか思えないナイル川上りから始まって、モザンビーク南下のクレイジー・バスぐらいまでのブラック・アフリカ7ヶ月は本当にきつかった。それであんまりきつかったので今はタイのバンコクで旅の疲れをとっているわけなのだが、そのバンコク滞在も既に半月を超え、もうバンコクはお腹いっぱいって感じだ。
物価安いし、安全だし、言葉なんて下手すると日本語が通用しちゃったりして、ようするにすごく快適で、
日本食たべまくったり、漫画喫茶で日本語のマンガ読んだりするのが楽しくて楽しくてしょうがなかったんだけど、よく考えてみたらそういうことは日本でもできることであり、別にタイじゃないとできないことではないということに、
つい最近気がついた。
そんなわけで日本へ帰る今になり、あわてて
「やばい、何かタイらしい経験しないとタイに来た意味がないぞ!」
と、遅まきながら思うようになり、他の旅行者とタイスキを食べに行ったり、王宮を見学しに行ったりしたのだが、これがいまひとつピンとこない。タイスキはもちろんタイの料理だけど、食べた場所はなぜか中華街だった。そして王宮はもちろんタイの建築物だけど、そこにいたのはなぜか外国人観光客ばっかりだった。マトモに考えてみれば、そもそもタイらしい経験をしようというのに中華街へ行ったのが間違いだし、外国人しか集まらないような観光チックな場所に行ったのも、やはり間違いだったと言わざるを得ない。どうもタイに来て以来、私は旅人の感覚をニブらせてしまったようだ。これではいけない。なにしろ私は未来のバックパッカー界を担う少年少女たちの目標、
スーパーバックパッカー
である。そのスーパーバックパッカーが、普通の外国人旅行者でもできるような経験でタイの旅行を終わらせてしまっては、私に憧れる少年少女たちの夢を壊しかねない事態になってしまう。アフリカにいた頃の自分を思い出し、何かタイじゃないとできない経験を得てから日本に帰らなければ。
ではタイらしい経験とは何だろうか?
ここはやっぱりウルルン滞在記ばりの「地元の方々との触れ合い」がベストなのは百も承知だが、しかし私はタイ到着以来ずっと外国人旅行者の溜まり場であるカオサン・ロードに滞在し続けている。ここは地元タイの人たちがいないというわけではないのだが、いたとしてもそういう人達はたいていの場合外国人慣れしているので、失礼ながらスーパーバックパッカーの相手には適さない。
では私はいったいどうすればいいのだろう?
そんなふうに思い悩んでいたときに声をかけてきたのが、同部屋のK君だった。
K君はこんなふうに声をかけてきた。
「KOGさん、これから王宮に行きませんか?」
「王宮ならこの前行ったから、もういいよ。」
「いや王宮って言っても王宮自体じゃなくて、王宮広場に行くんです。」
「広場?」
「ええそうです。王宮前の広場で今日もデモやるらしいんですよ。僕、それに参加してみようかと思ってるんです。」
「ああ、例のやつね・・・。」
現在タイの首都バンコクでは、連日のように大規模なデモ集会が行われている。日本で報道されているのかどうかわからないけれど、これはタクシン首相一族の不透明な株取引に端を発したもので、首相の辞任を要求する10万人にもおよぶバンコク市民が、毎晩のように抗議集会を行っているのである。タクシン首相は議会を解散して事態の収拾を図ろうとしたが、バンコク市民はあくまで首相の退陣を要求し続けており、「タクシン首相が退陣するまでデモを続ける」と、その鼻息は荒い・・・
・・・と、さも自分で調べたように書いてみたが、実は上記の文章はみんな長期滞在者から聞いたハナシであり、私はといえば毎晩デモが行われていたのは知っていたが、いったい何のデモなのか全然に知らずに毎晩宿でビールを飲んでいた。何故宿で飲んでいるのかというと、タイでは夜12時を過ぎると酒類を販売してはイケナイという法律があって、バーに行ってもコンビニに行っても酒が手に入らないのである。聞くところによると、この法律はタクシンが首相になってから施行されたとのことで、私個人としても首相には是非とも退陣してもらいところだ。そんなわけで今日も夕方から宿で昼間のうちに買い置きしていたシンハ・ビールを飲んでいたわけなのだが、ちょうどほろ酔い加減になったところでK君が誘ってきたのだった。
「KOGさんも一緒にデモに参加しませんか?」
そうK君は言う。しかしながら私は
「うーん、あんまり行きたくないなあ・・・。」
と、答えた。確かに私としても首相には辞任してもらいたい。そしてデモに参加するというのは普通の旅行者はあんまりやらなそうだし、「海外でしかできない経験」を求めている私には良い機会だと思えなくもない。
しかしながら私はいまひとつ踏み切れないのだ。タイの政治問題に日本人である私が口を挟むことについて、どうしても躊躇してしまうのである。何故なら私のようなスーパーバックパッカーが口を出してしまうと、
きっと事態に大きな影響を与えてしまうことは必至であり、その結果タイ政府から内政干渉と思われたらとても困るし・・・・・などと考えていたらK君が
「デモの参加者には食事の差し入れと、タイの国旗がもらえるんですけどね・・・。」
と、意味深な笑みを浮かべながら言った。
その言葉を聞いて私は思った。もしタイの政治に汚職と腐敗が存在しているのが事実だとすれば、やはりそれは許されないことであり、誰かが正さなければならない。良い事を実行するのに国境の壁なんて関係ない。我々人類みな兄弟であり、お互いに協力し合わなければならないのだ。正義感に燃えた私はK君と一緒にデモ集会に参加することに決めた。読者のみんなには理解できると思うが決して私は差し入れという
「タダ飯」
に釣られて参加するのではない。スーパーバックパッカーとしてタイの世直しに協力するのは私の当然の義務であり、参加者に配られるタイの国旗が
「お土産に最適だ」
などと思ったからでは、決してない。間違っても誤解しないでもらいたい。
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王宮前広場は、群集で埋め尽くされていた。皆、タクシン首相の退陣を要求するシュプレヒコールを大声で叫んでいる。その光景に私もK君も圧倒された。なぜなら私もK君も今までデモのようなものに参加した経験はなかったから。しかしそれは仕方のないことだろう。今の日本で10万人規模の集会なんてまず起こらないし、もし起こったとしたら、それはデモではなくてたぶんグレイのコンサートだ。
しかしそれにしてもこれだけ大規模な集会であるにもかかわらず、暴力的な匂いが全くしないところがタイの良いところだ。外国人が参加しても全く危険な感じがしない。実を言うとスーダンにいた頃にも大きな集会に参加する機会があったのだが、残念ながら私は参加しなかった。何故ならそれはデモというよりはハッキリ言って暴動であり、何よりも
命を落とす
危険性がメチャクチャ高く、スーパーバックパッカーが旅半ばにして倒れたとあっては大勢の女性読者を悲しませることになるので、あえて辞退したのだった。まあそんなハナシはともかくとして、とにかく我々はデモの熱気に圧倒されていた。
そしてもうひとつ付け加えるなら、わからないことがひとつだけあった。デモ参加者の叫んでいるシュプレヒコールである。彼等の叫びが私にはなんだか恥ずかしく聞こえるのである。ちなみ彼等はこんなふうに叫んでいた。
「オッパイ!! タクシン!! オッパイ!! タクシン!!」
・・・私は何故だかすごく恥ずかしかった。そしてそんな私の表情を見たK君が言った。
「日本語の『やめろ』をタイ語に訳すと『オッパイ』って言うんですよ。だから『オッパイ タクシン』っていうのは『タクシン辞めろ』っていう意味なんです。」
そうだったのか。それで彼等はあんなふうに叫んでいるのか。一瞬だけど私は彼等が首相に対して
「オッパイが欲しい」
と、要求しているのかと思ってしまったが、どうやらそれは私の勘違いだったようだ。
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その後、私達はデモの状況をしばし見学していた。けっこう長い間見学していた。そして見学を始めてから1時間ぐらい経ったころだろうか?K君が、もう我慢できない、というような表情で僕に言った。
「KOGさん、僕達もやりましょう。」
「何を?」
「僕達も叫ぶんですよ。だって僕達はデモに参加するために来たんじゃないですか。」
「でも『オッパイ タクシン』だよ・・・。本当にやるの・・・?」
ハッキリ言って私は乗り気じゃなかった。確かに私はこのデモに参加するために来た。しかしいい年をした男が『オッパイ』などという言葉を大声で叫んでよいのだろうか?もちろんその言葉がタイ語だということはわかっている。それはあくまで「やめろ」という意味であり、「女性のそれ」を意味する言葉ではないということはわかる。だが頭でわかっていても、どうしても私の純情すぎる少年のような心が歯止めをかけてしまうのだ。いったい私はどうすればいいのだ・・・。そしてそんなふうに悩んでいる思春期の私に対し、K君が言う。
「KOGさん、こんなチャンスめったにないんですよ。」
「チャンス? 何が?」
「よく考えてくださいよ。KOGさん、日本で『オッパイ』って叫んだことあります?」
「あるわけないだろう。」
私はそう答えた。あるわけがない。日本でそんな言葉を人前で大声で言えるはずがない。例えば私が東京・渋谷のスクランブル交差点で
「オッパイ!! コイズミ(首相)!! オッパイ!! コイズミ(首相)!!」
と、叫んだらどうなるだろう。ひょっとしたら周りから「気の触れた変態」と思われるかもしれない。いやそれだけながらまだしも最悪の場合、警察に逮捕されることも考えられる。私が警察署で
「首相の退陣要求を『タイ語』でしていただけです。」
と、説明しても、きっと誰も信じてはくれないだろう。そしてそんな事を考えていたらK君がとどめの一言を私に放った。
「でしょう? 僕も日本でオッパイななんて叫んだことなんてないですよ。でもね、今ならそれができるんです。絶対に良い思い出になりますよ。KOGさんもうすぐ日本へ帰るんでしょう? 今やらなっかたら、日本に帰ってから後悔しますよ。」
確かにそうだ。私はアフリカで最凶最悪都市ヨハネスブルグに平和をもたらした。アジア人である私がアフリカでさえ民衆のために働いたのである。そんな私が地元のアジアで民衆が戦っているというのに、ただ指をくわえて見ているだけでいいのだろうか? いや、いいはずがない。もし今ここで何もしなかったら、私は日本に帰った後で必ず後悔するだろう。世界のどこの国にいても民衆のために全力を尽くすのが、スーパーバックパッカーである。そして今タイで全力を尽くす事とは、それはすなわち民衆と一体になってシュプレヒコールを叫ぶことである。私は決断した。
「K君、やろう! 一緒にタイのために頑張ろう!」
それから私とK君はタイ人に負けないくらいの大きな声で
「オッパイ!! タクシン!! オッパイ!! タクシン!!」
と、叫んでいた。最初のうちはちょっと照れくさかったけれど、慣れてくるとだんだん調子が出てきて、タイ人の参加者よりも大きな声で叫んでいた。そして最後のほうになるともう、なんだかタクシンと言うのが面倒で、ただ
「オッパイ!! オッパイ!!」
と、だけ叫んでいた。自ら率先して叫んでいた。そして私は女の子と一緒に来なくて本当によかったと思っていた。
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あくまでK君の予測であるが、おそらくタクシン首相は退陣に追い込まれるだろうとの事。これは汚職と腐敗の無い政治を求める民衆の「オッパイ」という声が、タイの政治を変えることを意味する。しかしながらその民衆の中に日本人がいたという事実に、タイ人が気づくことは無いかも知れない。そしてその日本人がスーパーバックパッカーであったという事にも彼等は気づかないかもしれないが、これに関しては
「できればこのまま気づいてほしくないな・・・」
と、スーパーバックパッカーは考えているそうである。
追伸 : そんなわけでスーパーバックパッカーは、バンコクでやるべきこともやって満足したので、
もうすぐ日本へ帰ります・・・。